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*「文學界」の連載「シチュエーションズ」。第六回は柴崎友香から岡田利規へ。 *「SFマガジン」の「パラフィクション論序説」。第五回は「辻原登の「虚人たち」」。 *「朝日新聞」の「売れてる本」、次回はパトリック・ネス『怪物はささやく』 *「週刊金曜日」書評次回はマット・メイソン『海賊のジレンマ』。 *「ケトル」レビューは前田司郎『濡れた太陽』。 *「すばる」に前田司郎『濡れた太陽』の書評を執筆。 *「産経新聞」に小谷野敦『文学賞の光と影』の書評を執筆。 *北野勇作『かめくん』文庫解説。 *柴崎友香『ドリーマーズ』文庫解説。 *大森望&豊崎由美『文学賞メッタ斬り!ファイナル』に、お二方+東浩紀氏+僕の鼎談が掲載。 *「Voice」に園子温インタビューが掲載。 *「ユリイカ」のジョン・ケージ特集に論考を寄稿。 *アッバス・キアロスタミ監督『ライク・サムワン・イン・ラブ』パンフレットに寄稿。 *「図書新聞」に小野不由美『残穢』『鬼談百景』の書評を執筆。 8月18日(対)ピンク地底人公演アフタートーク@王子小劇場 8月30日(木)バストリオ公演アフタートーク@BANKART 9月1日(土)中立地帯公演アフタートーク@d倉庫 9月7日(金)ワンダーランド劇評セミナー座談会@東京藝術劇場 9月15日(土)仙台短篇映像祭「てつがくカフェ」トークwith冨永昌敬@せんだいメディアテーク 9月16日(日)大橋可也&ダンサーズwith空間現代公演アフタートーク@BANKART 9月29日(土)「おどりの場」公開審査@3331 10月末に『批評時空間』が新潮社より刊行されます。 #
by ex-po
| 2012-08-15 15:11
サンガツのHPに「大きなお知らせが2つあります」として、以下の文章がアップされました。 http://sangatsu.com/ そこで述べられている彼らの決断について、HEADZ/WEATHERレーベルのオーナーとして、補足的に記しておきたいと思います。 サンガツから相談を受けたのは、昨年末のことでした。年明けに正式にミーティングをして、このような形に至りました。 まず第一に述べておきたいことは、今回のことは、サンガツとHEADZの完全な合意の上で行なわれる、あくまでもポジティヴな判断であるということです。 楽曲にプライスをつけて販売するという慣行から一旦離れることで、新しい音楽のあり方を模索してみたい、という彼らのヴィジョンは、もちろんいまだ不確定要素が多いにせよ、僕としては(そしてHEADZというレーベルとしても)行く末をウォッチしていきたいと考えています。 HPでも少し触れられていますが、おそらく彼らの考えているのは、そもそも「楽曲」という概念自体を問い直す、アップデートさせる、ということなのかなと思います。 インターネットをインフラにした、新たなMUSICのクリエイティヴィティの可能性を探っていく、という。 それはニコ動とかネットレーベルとか、ゼロ年代後半から浮上した幾つかの「音楽」のアスペクトと歩調を合わせていますが、やり方としてはおそらく異なるものでもあるのだろうと思います。 すでにその試みはCatch and ThrowとしてHP上で始まっています。今後はこのベクトルをより充実させていく、ということなのだと思われます。 彼らが依拠している問題意識、彼らが提起している問題にかんしては、個人的にも色々と考えていることはあります。しかしそれはここでは記しません。 ただひとつ言えることは、何度目かの新たな船出に乗り出したサンガツを、リスナーの皆さんにも、僕と一緒に見守っていただけたら、ということです。 アーティストがレーベルを離れるということは、とても大きいことです。もっとも、HEADZはレーベル契約ということをしていないので、もともと「所属」ということではなかったのですが。 彼らが敢てHEADZを離れる、という形を取ったのは、サンガツがこれからやろうとしていることが、従来の「レーベル」という概念に抵触するものと受け取られるかもしれない、という理由です。 僕はHEADZを普通の意味でのレーベルとは考えていないので、個人的には、今のままでもいいのではないか、とも思いましたが、もともとサンガツは非常に潔癖というか、時には不器用なまでに頑固なバンドなので、一度ほんとうの意味でインディペンデントになって、次の段階に向おうという、彼らが考えて決めたことをフォローすることが、自分の役割だと思いました。 だから公式(?)にはサンガツはHEADZから離れるけれど、僕にとっては、そしてHEADZにとっても、彼らはこれからも仲間ですし、ライヴやイベント、その他の色々なことにかんして、今後も協力し合っていくことはあるだろうと思います。 つまりこれは、サンガツの音楽自体がそうであるように、他の誰にも似ていない、そして他の誰にも真似の出来ないような、ひとつの勇敢な「実験」です。 僕は外側から、彼らの「実験」に自分なりの仕方で参加していきたいと思っています。 サンガツ、これまでありがとう。 これからも、よろしく。 #
by ex-po
| 2012-01-24 12:23
2011年は三冊の単行本を刊行することが出来ました。 『即興の解体/懐胎ーー演奏と演劇のアポリア』青土社 『小説家の饒舌』メディア総合研究所 『未知との遭遇ーー無限のセカイと有限のワタシ』筑摩書房 てんでバラバラなようでいて、自分の中では深いところですべてが繋がっていると思っています。『即興』は三年連載、『饒舌』は一年間続けたトークイベントの記録、そして『未知』は企画からでも四年以上、構想の始まりからすると六年近くかかっていますから、今年本になったということは、いわばタイミングに過ぎないのですが、2011年という年に結果として世に出たということには、やはりなにがしかの意味があると感じています。なによりも2010年は一冊も本を出さなかったので、とりあえず今はホッとしています。 来年は、やはり数年来の宿題である(と毎年書いてますが汗)『90年代論』(原書房)と、新書第二弾である『ニッポンの音楽』(講談社現代新書)の脱稿を第一目標にします。『90』はもう何年も前に殆ど出来上がっているのに僕がグズグズして止めていましたが、『未知』を書いたことでやっと踏ん切り/弾みがつきました。その他、「新潮」の連載『批評時空間』と、ブレインズの『ジョン・ケージ「4分33秒」論』も本に出来るのではないと思います。また、単発の批評文がかなり溜まってきたので、出来れば『ソフトアンドハード』の続編みたいな論集が編めたらなと夢想しているところです。 来年は今年から継続していく仕事以外に、幾つか新たに始まるものがあります。新連載も幾つか予定しています。また、長らく音沙汰がなくてご心配をお掛けしましたが、エクス・ポとヒアホンも出します(ただしどちらもかなり色んな意味で変わるかもしれません)。 ということで、2011年もありがとうございました。2012年もどうぞよろしくお願い致します。 #
by ex-po
| 2011-12-31 15:13
【NIPPON】 テニスコーツ『Papa's Ear』 テニスコーツ『ときのうた』 坂本慎太郎『幻とのつきあい方』 根本敬『愛液(駅)』 山本精一『ラプソディア』 真夜中フォークミュージック 『真夜中フォークミュージック』 前野健太『ファックミー』 Alfred Beach Sandal『One Day Calypso』 Ju Sei『CONESOLO』 シラオカ『部屋』 星野源『エピソード』 豊田道倫&ザーメンズ『アンダーグラウンドパレス』 TwiGy『Al Salaam Blue Thought』 Riow AraI『Graphic Graffiti』 伊東篤宏『Midnight Pharmacist』 【BEATS】 James Blake『James Blake』 Nicolas Jaar『Space Is Only Noise』 Robag Wruhme『Thora Vukk』 Samiyam『Sam Baker's Album』 Thundercat『The Golden Age Of Apocalypse』 Vladislav Delay 『Vantaa』 Anti-G 『Anti-G Presents Kentje'sz Beatsz』 Jonti 『Twirligig』 Seun Kuti & Egypt 80 『From Africa With Fury: Rise』 Shackleton 『fabric 55: Shackleton』 Tyler Major 『Alone In His Meadow Garden』 The Roots 『Undun』 【ロック/ポップみたいな】 Charles Hayward 『One Big Atom』 Jefre Cantu-Ledesma 『Shining Skull Breath』 Keith Freund 『Constant Comments』 Sandro Perri 『Impossible Spaces』 Trophies 『Become Objects of Daily Use』 Youth Lagoon 『The Year of Hibernation』 Thurston Moore 『Demolished Thoughts』 Van Dyke Parks 『Arrangements Volume 1』 Wilco 『The Whole Love』 透明雜誌 『我們的靈魂樂』 【エクスペ】 Chris Watson 『El Tren Fantasma』 Hecker 『Speculative Solution』 Jez riley French/Barry Chabala 『trammels』 Mark Fell 『Manitutshu』 Mark Fell 『Periodic Orbits of a Dynamic System Related to a Knot』 Patrick Farmer 『Green Rings Around The Eyes,This Grass In Vibrant Motion.』 Ricardo Villalobos 『Re: Ecm』 Taku Unami / Takahiro Kawaguchi 『Teatro Assente』 Yasunao Tone 『MP3 Deviations # 6 + 7』 Oneohtrix Point Never『Replica』 (順不同です) (カテゴリは適当です) #
by ex-po
| 2011-12-30 12:42
29日のホンマタカシさんとの対談の参考に、2007年9月に僕が批評同人誌「ベクトルズ」のために行なったホンマさんのインタビュー記事を以下に全文アップします。 《写真機械》としての「人間」 2007,9,20 16:30~18:00 ホンマタカシ←佐々木敦 ■NEW WAVES 佐々木 ホンマさんの最近の作品を拝見して、また幾つかのインタビューで話されていることを読んで、すごく興味が沸きました。僕は写真については門外漢で、写真論も自分に興味があるようなものしか目にしてないです。素人ならではの質問で、そういうものはもうとっくに乗り越えられているよ、というようなものもあるかもしれないので、そういう場合にはビシッと指摘していただいて(笑)。 ホンマ いやいや(笑)。 佐々木 『NEW WAVES』(*)は、ハワイの海を撮っていて、波が来るのをひたすら捉えていらっしゃるんですが、こういうところにホンマさんが立ち至ったのは、キーワードとして「決定的瞬間」というのがひとつあると思うんです。写真とは決定的瞬間を捉えるものだという考え方が一方でずっとあって、それに対しての距離感がホンマさんの中で次第に育ってきたのかなと思うんですけど。 ----------------------------- (*)『NEW WAVES』…『ホンマタカシ写真集 NEW WAVES』。ハワイ・ノースショアの波を撮影した作品約100点を収録。パルコ出版より2007年7月刊行。 ----------------------------- ホンマ 今『アサヒカメラ』で毎月写真時評みたいな連載を10回くらいやってて、「今日(こんにち)の写真」というテーマで。写真家が今日写真を撮るということを考えていくと、多分音楽や文学もそうだと思うけど、あらかじめ録られているし作られているわけじゃないですか。それが大前提にあって、じゃあ今どうするっていう、写真だけじゃなくて音楽や映画も同じ状況に立っていると思うんですね。簡単にいうと、モダンもとっくに終わって、ポスト・モダンも終焉に来ているところぐらいでどういう風にやっていくかってところにきているんですよ。写真はそれでも無邪気にモダンの終焉を迎えずに、ただ決定的に出会い頭に瞬間を捕らえればいいんだってところで成り立ってきた珍しいメディアなんじゃないかなって思ってるんですよ。だから単的に言うと、それはアカデミズムにもなってないというか、写真教育が成されてないというか、撮る方も見る方も成されていなくて、それはなぜかというと、ただ撮ればいいということがあるから教えられないというまま今まで来ている。そのまま無邪気にやっていっていいのかっていうのは、僕だけじゃなくて僕の世代には共通の意識があるんじゃないかと思うんです。僕が波を撮ったというのも、波なんて散々撮られているわけじゃないですか、富士山を撮るようなもので。それをなぜあえて撮るのかという問題だと思う。今東京都写真美術館で鈴木理策さんが『熊野、雪、桜』(*)という写真展をしているんですけど、特に桜なんて本当に死ぬほど撮られているのになんで今撮るのかという問題に、僕だけじゃなくて、みんな来ていると思うんですよね。結局、写真家は被写体を撮らないといけないから、すでに撮られている大文字の被写体をもう一度再解釈して撮るか、それか冒険して誰も見たことがないものを撮るのか、その2つしかない。あとは日常をダラダラダラダラ撮るというのはあるんですけど。そういう中で僕はやっぱり出会い頭も撮ってないし、冒険も至るところまで『ディスカバリーチャンネル』がやってるわけだから、やっぱり原理的にないなあと思っていて、その中でやるならすでに撮られているものをどう再解釈するかしかないのかなという。撮られているものをどう撮るかというところまでやるしかないと思っているんですよ。 ----------------------------- (*)『熊野、雪、桜』…東京都写真美術館にて、9月1日(土)〜10月21日(日)まで開催。展覧会カタログを兼ねた写真集も淡交社から刊行されている。 ----------------------------- 佐々木 表現行為や創造行為といわれること全部に関わってくる話だと思うんですけど、何かひとつのジャンルの表現方法があったときに、それが成しうることの大方の可能性がすでに試みられてしまっているとされると、あとはそれを繰り返すか、やったことの注釈しか生きながら得ていきにくいときに、あえてアルカイックな地点に戻ることを選択したんだと思うんですね。それはある意味、いま写真をやること自体が相当に困難なことになっているということですよね。 ホンマ そう。かなり困難だと思いますね。そういう意味で佐々木さんは専門家ですけど、音楽では早かったですよね。だって作曲ってことはないわけじゃないですか。みんな作曲しているけど、クラシック音楽みたいな曲を作るってことはないわけですよね。当然とっくの昔にサンプリングやDJで、細かい差異で見せていくしかないわけですよね。それが音楽は早かったけど、写真はいまだに見たことのないものを自分だけが撮れるという幻想が生きているんですよね。僕はそこに疑問があって。それと写真独特の大きい——困難さは同じなんですけど、写真だけが信じられる幻想って大きくあるんですよ。すごいきつい体験をしないと写真は撮れないとか、身近なものを撮る場合でも、男でも女でも深い関係性を経なければ写真は撮れないんだという、小説でいえば私小説みたいなものですね。その流れが本当にぎりぎりまだあるんですよね。それに対する反発を僕は学生時代からあったんですよ。今の状況になって、やっと原点に戻れて、もしかしたらいちばんやりたいことをやれるようになったのかも知れないですね。もっと前から違和感を感じていたけど、自分の写真家としての力もなかったし、状況もそうじゃなかったけど、今やっと、困難なんだけどいいコーナーまで来たなと思っていて(笑)。 佐々木 やるべきことをやれる状態になったという。 ホンマ そうそう。みんなが困難になればなるほど、自分がやりたいことがやりがいがあるなという状況になったと思います。 #
by ex-po
| 2011-12-28 12:25
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