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はじめに 本書は、おそらくちょっと独特なやり方で、われわれが通り越してきた過去と、やがて来るべき未来を肯定することによって、他ならぬ今ここ、すなわち現在を肯定しようとする本です。 と同時に、これはちょっと独特な仕方で、われわれの現在を肯定することによって、今ここ、にはもう/まだない過去と未来とを、それぞれのやり方で、しかし同時に、肯定しようとする本でもあります。 つまりたぶん、この本は、いわゆるところの世界や人生なるものを、他とは少しばかり違った、ちょっと独特な方法によって、肯定するために書かれています。 いささか大仰な言い方かもしれませんが、これから、今ここからはじまる『未知との遭遇』という本に込められたテーマを、あらかじめ簡潔に述べてみるならば、以上のようなことになります。 だからこれは、「生き方」にかんする本だといってもいいし、誤解を畏れずに言ってしまうと、一種の「自己啓発」とさえも呼び得る類いのものなのかもしれません。 とはいえ、誰が啓発されるのか、誰かが啓発され得ることがあるのかどうかも、まだわからないのですが。 僕は自分が、このようなタイプの本を書いてみる気になるとは、以前は思ってもみませんでした。 たとえば十年前だったら、仮に似たような依頼があったとしても、たぶん一笑に付していただろうと思います。僕が書いた「生き方」についての本など、いったい誰が読みたがるのかと。 それは現在も変わらないのかもしれません。でも今、僕は僕なりのやり方で、こんな本を書いてみるということに、いささか強い動機を感じているのです。 それはもしかしたら、ただのひとりよがりでしかないのかもしれない。 この本の中で、僕は世の常識や普通に信じられていることとは、かなり異なった、ちょっとおかしなことを沢山言うことになるかもしれません。 あるいは、そんなの常識以前の当たり前でしょ、とすぐさま切り捨てられてしまいそうなことを持ち出すかもしれない。 あるいはそれは、せいぜいが、こう考えれば少し気持ちが楽になる、という程度のことなのかもしれない。 でも、だったらば尚更のこと、どうしてそうしないのだろうか?、と僕は思うのです。 もしもそうできない理由があるのだとしたら、そうできなくしているものがあるのだとしたら、いったいそれは何なのか? そのことについても、この本の中では追究されていくことになります。 僕自身は、これから語っていくような、幾つかの、おそらくはちょっと独特な考え方を選び取ることによって、大仰な言い方かもしれませんが、自分自身を多少とも救うことができたという感覚さえ、あるのです。 それでは、はじめましょう。 ●目次+小見出し はじめに ■一日目:無限のセカイと有限のワタシ ◎A面 世界(セカイ)の果て? ビギナーの憂鬱/「すべて」という幻想/インターネットは「無限」を捏造する/認知限界/最小合理性/無限のセカイと有限のワタシ ◎B面 おたくからオタクへ 「おたく」か「オタク」か?/中森明夫の「命名」/「OTAKU」を定義する/「おたく」の危機/一九九五年/おたく/オタク論者たち/「おたく」による「オタク」批判/「おたく」から「オタク」へ/なぜオタクは勝利したのか?/新たなゲームボード/祭りの準備/VSサブカル? ■二日目:タイムマシンにお願い ◎A面 偶然について 「出来事」を説明する/『CURE』/偶然の三つの様相/第一次「偶然」ブーム/純粋小説論/第二次偶然性ブーム/モンティ・ホール問題 ◎B面 運命について ヒミズとは何か?/ブーメラン決定論/運命論の四つのパターン/「後の祭り」/逆向き因果/形而上学的運命論/占いの効用/タイムマシンにお願い/「波形編集ソフト」の時間論/後悔という問題 ■三日目:UNKNOWNMIX! ◎A面 不可能世界(セカイ)論 多様性を擁護する/無限後退問題/君の考えたことはとっくに誰かが考えた問題/リテラシー?/選択肢の過剰/セカイ系/『ファイナルファンタジックスーパーノーフラット』/本谷からジジェクへ/「現実への情熱」/シャカイ系/デメキングとは誰か?/マルチエンディングの地獄/トゥルーエンド/メタフィクション批判/「現実肯定」のプログラム ◎B面 未知との遭遇 「起きたことはすべていいこと」/最強の運命論/多重人格者であること/誰もがマルチプルである/「未知なるもの」の到来/「諸虚構の時代」/「世界」の「ヴァージョン」/UNKNOWNMIX/テン年代のキーフレーズ/吃驚すること/インプロヴィゼーション/拡散と収縮/おわりに あとがき ●参考文献一覧 青山拓央 『新版 タイムトラベルの哲学』ちくま文庫、二〇一一年 東浩紀 『存在論的、郵便的——ジャック・デリダについて』新潮社、一九九八年 ———— 『動物化するポストモダン——オタクから見た日本社会』講談社現代新書、二〇〇一年 ———— 『情報環境論集 東浩紀コレクションS』講談社、二〇〇七年 ———— 『ゲーム的リアリズムの誕生——動物化するポストモダン2』講談社現代新書、二〇〇七年 ———— 『文学環境論集 東浩紀コレクションL』講談社、二〇〇七年 ———— 『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』講談社、二〇〇七年 ———— 『クォンタム・ファミリーズ』新潮社、二〇〇九年 ———— 『郵便的不安たちβ 東浩紀アーカイブス1』河出文庫、二〇一一年 東浩紀編 『美少女ゲームの臨界点 波状言論 臨時増刊号』波状言論、二〇〇四年 東浩紀編 『日本的想像力の未来』NHKブックス、二〇一〇年 東浩紀+大澤真幸『自由を考える——9・11以降の現代思想』NHKブックス、二〇〇三年 東浩紀+大塚英志『リアルのゆくえ——おたく/オタクはどう生きるか』講談社現代新書、二〇〇八年 東浩紀+笠井潔『動物化する世界の中で——全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』集英社新書、二〇〇三年 東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』新潮社、二〇〇八年 東浩紀+濱野智史編『ised 情報社会の倫理と設計倫理篇』河出書房新社、二〇一〇年 一ノ瀬正樹 『原因と結果の迷宮』勁草書房、二〇〇一年 ———— 『原因と理由の迷宮——「なぜならば」の哲学』勁草書房、二〇〇六年 ———— 『確率と曖昧性の哲学』岩波書店、二〇一一年 いましろたかし『デメキング』ベストセラーズ、一九九九年 ———— 『デメキング 完結版』太田出版、二〇〇七年 入不二基義 『時間は実在するか』講談社現代新書、二〇〇二年 ———— 『時間と絶対と相対と——運命論から何を読み取るべきか』勁草書房、二〇〇七年 ———— 『哲学の誤読——入試現代文で哲学する!』ちくま新書、二〇〇七年 ———— 『相対主義の極北』ちくま学芸文庫、二〇〇九年 ———— 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』朝日出版社、二〇〇九年 植島啓司 『偶然のチカラ』集英社新書、二〇〇七年 歌野晶午 『世界の終わり、あるいは始まり』角川書店、二〇〇二年 宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』早川書房、二〇〇八年 ———— 『リトル・ピープルの時代』幻冬舎、二〇一一年 大澤光 『社会システム工学の考え方』オーム社、二〇〇七年 大澤真幸 『虚構の時代の果て——オウムと世界最終戦争』ちくま新書、一九九六年 ———— 『戦後の思想空間』ちくま新書、一九九八年 ———— 『現実の向こう』春秋社、二〇〇五年 ———— 『不可能性の時代』岩波新書、二〇〇八年 ———— 『量子の社会哲学——革命は過去を救うと猫が言う』講談社、二〇一〇年 ———— 『生きるための自由論』河出ブックス、二〇一〇年 ———— 『社会は絶えず夢を見ている』朝日出版社、二〇一一年 大澤真幸編 『アキハバラ発——〈00年代〉への問い』岩波書店、二〇〇八年 大塚英志 『「おたく」の精神史——一九八〇年代論』講談社現代新書、二〇〇四年 ———— 『物語消滅論——キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」』角川oneテーマ21、二〇〇四年 大塚英志+大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』角川oneテーマ21、二〇〇五年 大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社現代新書、二〇〇一年 大塚英志+中森明夫編『Mの世代——ぼくらとミヤザキ君』太田出版、一九八九年 大森荘蔵 『流れとよどみ』産業図書、一九八一年 ———— 『時間と自我』青土社、一九九二年 ———— 『時間と存在』青土社、一九九四年 ———— 『知の構築とその呪縛』ちくま学芸文庫、一九九四年 ———— 『哲学の饗宴——大森荘蔵座談集』理想社、一九九四年 ———— 『時は流れず』青土社、一九九六年 岡田斗司夫 『オタク学入門』太田出版、一九九六年 ———— 『オタクはすでに死んでいる』新潮新書、二〇〇八年 小沼丹 『黒と白の猫』未知谷、二〇〇五年 加地大介 『なぜ私たちは過去へ行けないのか——ほんとうの哲学入門』哲学書房、二〇〇三年 加野瀬未友×ばるぼら「オタク×サブカル15年戦争」『ユリイカ』二〇〇五年八月増刊号 木原善彦 『UFOとポストモダン』平凡社新書、二〇〇六年 九鬼周造 『九鬼周造随筆集』岩波文庫、一九九一年 ———— 『偶然性の問題・文芸論』(京都哲学選書)、燈影舎、二〇〇〇年 黒沢清 『黒沢清の映画術』新潮社、二〇〇六年 佐々木敦 『ゴダール・レッスン——あるいは最後から2番目の映画』フィルムアート社、一九九四年 ———— 『ソフトアンドハード』太田出版、二〇〇五年 ———— 『「批評」とは何か?——批評家養成ギブス』メディア総合研究所、二〇〇八年 ———— 『ニッポンの思想』講談社現代新書、二〇〇九年 ———— 『文学拡張マニュアル——ゼロ年代を超えるためのブックガイド』青土社、二〇〇九年 ———— 『即興の解体/懐胎——演奏と演劇のアポリア』青土社、二〇一一年 末木文美士 『他者/死者/私——哲学と宗教のレッスン』岩波書店、二〇〇七年 竹内啓 『偶然とは何か——その積極的意味』岩波新書、二〇一〇年 谷川流 『涼宮ハルヒの暴走』角川スニーカー文庫、二〇〇四年 永井均+入不二基義+上野修+青山拓央『〈私の哲学〉を哲学する』講談社、二〇一一年 中河与一/横光利一『中河与一/横光利一』新学社近代浪漫派文庫、二〇〇六年 中島義道 『後悔と自責の哲学』河出書房新社、二〇〇六年 中野独人 『電車男』新潮社、二〇〇四年 中原昌也+高橋ヨシキ+海猫沢めろん+更科修一郎『嫌オタク流』太田出版、二〇〇六年 花沢健吾 『ルサンチマン』全四巻、小学館ビッグコミックス、二〇〇四—〇五年 古谷実 『僕といっしょ』全四巻、講談社ヤンマガKC、一九九八年 ———— 『グリーンヒル』全四巻、講談社ヤングマガジンコミックス、二〇〇〇年 ———— 『ヒミズ』全四巻、講談社ヤンマガKC、二〇〇一—〇二年 ———— 『シガテラ』全六巻、講談社ヤンマガKC、二〇〇三—〇五年 ———— 『わにとかげぎす』全四巻、講談社ヤングマガジンコミックス、二〇〇六—〇七年 ———— 『ヒメアノ〜ル』全六巻、講談社ヤングマガジンコミックス、二〇〇八—一〇年 本田透 『電波男』三才ブックス、二〇〇五年 舞城王太郎 『ディスコ探偵水曜日』上下、新潮社、二〇〇八年 森見登美彦 『四畳半神話大系』太田出版、二〇〇五年 横光利一 「純粋小説論」『愛の挨拶・馬車・純粋小説論』講談社文芸文庫、一九九三年 グレッグ・イーガン『宇宙消失』山岸真訳、創元SF文庫、一九九九年 ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』菅野盾樹訳、ちくま学芸文庫、二〇〇八年 ハーバート・A・サイモン『システムの科学第三版』稲葉元吉・吉原英樹訳、パーソナルメディア、一九九九年 スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』鈴木晶訳、河出書房新社、二〇〇〇年 ———— 『「テロル」と戦争——〈現実界〉の砂漠へようこそ』長原豊訳、青土社、二〇〇三年 ———— 『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳、紀伊國屋書店、二〇〇八年 バリー・シュワルツ『なぜ選ぶたびに後悔するのか——「選択の自由」の落とし穴』瑞穂のりこ訳、ランダムハウス講談社、二〇〇四年 マイケル・ダメット『真理という謎』藤田晋吾訳、勁草書房、一九八六年 クリストファー・チャーニアク『最小合理性』柴田正良監訳/中村直行+村中達矢+岡庭宏之訳、勁草書房、二〇〇九年 ダニエル・デネット『心はどこにあるのか』土屋俊訳、草思社、一九九七年 ———— 『解明される意識』山口泰司訳、青土社、一九九八年 ———— 『自由は進化する』山形浩生訳、NTT出版、二〇〇五年 ———— 『スウィート・ドリームズ』土屋俊+土屋希和子訳、NTT出版、二〇〇九年 イアン・ハッキング『記憶を書きかえる——多重人格と心のメカニズム』北沢格訳、早川書房、一九九八年 ———— 『偶然を飼いならす——統計学と第二次科学革命』石原英樹+重田園江訳、木鐸社、一九九九年 アラン・バディウ『世紀』長原豊+馬場智一+松本潤一郎訳、藤原書店、二〇〇八年 スコット・ペイジ『「多様な意見」はなぜ正しいのか——衆愚が集合知に変わるとき』小谷淳訳、日経BP社、二〇〇九年 デイヴィッド・ルイス『反事実的条件法』吉満昭宏訳、勁草書房、二〇〇七年 #
by ex-po
| 2011-12-07 13:31
すでに単行本に入ってる文章ですが、『恋する原発』刊行を記念(?)して、ここにアプしておきます。 「黙秘権を行使します」ーー高橋源一郎論 (『絶対安全文芸批評』より) やってみます。そうです。どっちみちわたしはやるに決まっていますから。 『ジョン・レノン対火星人』 * 「高橋源一郎」的「問題」とは、つまるところ、次のようなものだ。 書けないことを書くにはどうしたらいいのか? こんなたったの一行に還元できる「問題」に、ひたすら「高橋源一郎」はこだわり続けている。登場した時からそうだったし、途中もずーっとそうで、今も(たぶんますます)そうだ。 では「書けないこと」とは何か?。ここには、「書き得ないこと」ということと、「書きたくないこと」ということ、の二つの意味の次元があって、そしてその二つはかなりややこしく絡み合っている。そして更に、それらの少し下の方には、「書くべきでないこと」とか「書いても仕方のないこと」とか「書くのが面倒くさいこと」とかがあったりする。ともかくも「高橋源一郎」にとって、「書けないこと」へのこだわりは、そのまま「書くこと」の起動力であり、つまりは「書くこと」の存在理由でさえある。 「高橋源一郎」は、「書けないということ」を、確認し反復し強化しながらも(彼はそうせずにはいられない)、それに必死で抗って(彼はそうせずにもいられない)、それゆえにこそ「書く」(そうしなくてもいいのかもしれないと彼は時々思う)。結果として「高橋源一郎」の「小説」は、極度の抵抗/摩擦との闘争の場の相貌を露骨に帯びることとなり、それは時として奇妙にいさましく見えたり、奇妙に滑稽に見えたり、ひどくかなしく見えたり、ひどくだらしなく見えたりもする。 現在の作家で、これほどまでに「書けないこと」に絶えず直面しつつ「書いて」いるのは、他には「中原昌也」ぐらいしか見当たらない。「高橋源一郎」がしばしば表明してきた「中原昌也」へのシンパシー(?)は、何よりもこの点から理解されるべきだろう。両者にはもちろん色々な、相当に大きな違いがありもするが、しかしやっていることの根っ子にあるものは、実はとてもよく似ている。すなわち「書くこと」の否定の否定としての「書くこと」。それでもなお「書いているということ」への恥ずかしさと開き直りの繰り返し。 「書き得ないことを書くにはどうしたらいいのか?」。がしかし、とはいえこの「書き得ないということ」を、何て言うんですか、いわゆるひとつの「表象不可能性」の「問題」というの?、もっとざっくりと「言語」の「問題」というの?、まあそのようなこととして(のみ)考えるのは、一見深いようでいて案外まるで深くない。というか大体、僕は(僕は!)最近ますます、いわゆる「表象不可能」というのは、結局は為にする「問題」でしかない、と疑っています。これは「映画」とかでも同じことだが、ほらここに「表象不可能」が「表象」されてるよ、と言うことの本質的な馬鹿らしさを、もっとちゃんと考えるべきだと思う。 たぶん「高橋源一郎」自身も、特にあまり元気のない時なんかには、オレがやってることって「表象不可能性」なのかなあ、とか思ったりすることもあるのかもしれない。ていうかもちろんそれって別に全然ハズレじゃないし(そして「ハズレじゃない」といつでも言えてしまうのが「表象不可能性」の狡いところだ)。だが、ここで言う「書き得ないこと」というのは、もっとずっと単純で具体的で現実的なことであり、それゆえにずっともっと複雑で抽象的で観念的なことだ。 どこかに「書きたいこと」や「書かれるべきこと」(「書くべきこと」ではない)があって、それは確かにあるのだが、しかし「書くこと」によって「書かれたこと」となる筈の「そのこと」を、どうしても「高橋源一郎」は、どこまでいっても/そもそものはじめから「書き得ないこと」と考えてしまう。それはつまり、体験や記憶や情動といったようなものと、言葉や文法との偏差が、絶対的に超え難いものとしてその都度立ちはだかるということなのだが、しかしもう一度言うが、それはしかし、絶対的に超え難いとその都度思えてしまうとはいえ、たとえば「書くということ」そのものの根底に鎮座する実のところ結構ポジティヴな否定性というようなこととはぜんぜん違う。 そうではなく、「高橋源一郎」にとって、その「偏差」とは、必ずや、いってみれば「技術的」「方法的」にクリア出来る筈のものなのである。そのことが彼にはわかっている。「書きたいこと」や「書かれるべきこと」は、いつかは「書かれたこと」になってしかるべきなのだ。しかし、にもかかわらず、「高橋源一郎」には、未だに「そのこと」を果たすことが出来ていない。出来てない、まだ出来ない、ずっと出来ていない、と彼は思っている。なぜ出来ないのだろう?。どこかがまちがっているのだろうか?。しかしそれでもいつかは必ず…とも「高橋源一郎」は思っている。なぜなら、それは、よくよく考えてみれば、どう考えてみても、ほんとうは「書き得ないこと」でもなんでもないからだ。 だから、いわゆる「書くこと」が何もない、というのならば、実は全然ましなのだ。だって「書くことが何もないということ」についてなら、まだいくらでも書けるのだから。「問題」は、ここに(そこに?)「書くこと」は現に頑として在るのに、それがいつの間にか常に既に「書き得ないこと」にすり変わってしまう、そうとしか思えなくなってくる、ということにこそある。そしてまた、それはあくまでも「技術」と「方法」の「問題」としてあり、だからこそ、いつまでたっても/どこまでいっても、「書き得ないこと」を「書くこと」を諦めることが出来ない、ということにある。 「……ぼくが文学を好きなのは、実は正確ではないから、なにかを表現しようとして結局表現することができないから、つまり『誤り得る』からのような気がします。文学に留まろうと、政治に進もうと、いやぼくたちが言葉を持つ限り、言葉を用いる限り、『誤る』ことが必然なら、問題はどのように『誤る』かだけではないでしょうか」 「文学の向こう側2」『文学なんかこわくない』 と「高橋源一郎」は語ってみせたことがあるが、がしかし、今ダラダラと書きつつあることは、ここでの「誤る」というのとは、微妙に別の話、というか、もっと先の(見方によっては前の)話である。「どのように『誤る』か」は、実はさほどの「問題」ではない。「どのように」を「問題」にし得るのなら、それは結局のところ操作可能な誤操作でしかなく、「誤る」ことが「必然」だというのなら、それは(しつこいですが)「表象可能」な「表象不可能性」へと回収されるしかない。明らかに(少なくともこの時点では)「高橋源一郎」自身が、こんな風に考えていたわけだが、事態はいわばある意味、もっと浅くて素朴なのだと思う。つまり、ほんとうの「問題」は、「誤る」ということではなく、「うまくいかない」ということなのだ。 「保坂和志」との対談の中で、「高橋源一郎」はこう語っている。 ……ぼくの小説の場合、ほとんど失敗作なんですね(笑)。最近思うに。うまくいってるかなと思える部分が多い作品もあるにはあるんだけど、失敗しているというか、うまくいってない作品が多い。でも、そのうまくいってないということをうまく説明するのは非常に難しいんですよ。 「〈小説〉とは何か」『現代詩手帖特集版 高橋源一郎』 ちなみにこの対談で「高橋源一郎」は「保坂さんの作品は最初から失敗しない構造になっている」とも述べていて、これは「保坂和志」の「小説」に対する最も的確かつ辛辣な「批評」だろう。この「うまくいってないということ」は、確かに「技術的」で「方法的」なレヴェルの判断ではあるのだが、しかしならばたとえば「保坂和志」の方は、それと同じ意味で「うまくいってる」のかといえば、それはまったく違うと「高橋源一郎」は言うに違いない。 「高橋源一郎」は、誰かに「書くこと」を適当に与えられさえすれば、自分は何だって書ける、というような意味のことをしばしば語っている。彼は自分の「技術」と「方法」の研鑽と達成に一定以上の評価を置いているだろうし、優れた「読者」であり「批評家」でもある彼としては、「高橋源一郎」の「技術」と「方法」が、同時代の作家に比して相対的にずっとマシであることは熟知していることだろう。 だが、それでも、いつまでたっても/どこまでいっても、「高橋源一郎」にとって、「そのこと」は「書き得ないこと」として立ち現れてくるし、その結果、そこには「うまくいってないということ」が残されることになる。そして、なぜそうなってしまうのかと言えば、「高橋源一郎」にとって、実は「そのこと」は「書きたくないこと」でもあるのだからだ。 「書きたくないことを書くにはどうしたらいいのか?」。すなわち「書きたくないこと」が、そのまま同時に「書きたいこと」でもあるのだとしたら、そこで生じる「書くこと」への抵抗/摩擦には尋常ならざるものがあることだろう。それは、放っておいたら、あっけなく「書けないこと」に安住し、引きこもって、そこには(ここには?)ないのと同じになってしまう。 「谷川俊太郎」「平田俊子」との鼎談の中で、「高橋源一郎」はこう言っている。 ……これはあまり考えなかったことですけれども、ぼくの場合、いやぼくだけじゃないと思うんですが、小説を書く場合は、なにを書くかをきめるとやることの八割方まできまってしまうんです。そこまでが仕事で、そこから先は物理的には大変なんですけれどもね。よくいいますが、「なにを書く」かと「どう書く」ということで分けると、「なにを書くか」がほとんどですね。小説の場合。 『日本語を生きる』 ところが「問題」は、この「なにを書くか」が「どう書くか」を延々と邪魔し続ける、ということにある。それを「ポストモダン」と呼ぶかどうかはともかくも、いわば「どう」が「なに」に勝る時代の寵児のごとく遇されてきた感もある「高橋源一郎」は、しかし実のところは「なに」が「どう」を拘束する「小説」の保守性(!)にことのほか忠実なのである。そして「なに」に代入される「そのこと」が、ほんとうは「書きたくないこと」であり、また「書かれるべきこと」が「書くべきでないこと」でもあるのだとしたら、それでもなお「書くこと」は、不可避的に「どう」に過剰な負荷をかけ、撹拌し、場合によっては破壊しもするだろう。 あるいはまたそれは、いつまでたっても書き始められない、とか、いつまでたっても書き終えられない、とか、限りなくテキトーとしか読めない、などといった、ほとんど怠惰や自堕落や責任放棄と見紛うような様相を呈することにもなる。 とまあ、ざっとこんなようなことを、当の「高橋源一郎」自身が、もっと端的に述べている。 しかし、ほんとうのところ、どの作家も、考えることは一つしかないはずだ、とわたしは思っている。 その一。ほんとうのことをいいたい。 その二。でも、ほんとうのことはいわない。 以上。 それだけ? そう。それだけである。 『私生活』 雑誌連載時から話題を呼んだ身辺雑記エッセイの単行本化に際して付されたこの序文の中で、「高橋源一郎」は、他にも「作家というものは、ほんとうのことをいいたい人の中で、なおかつ、ほんとうのことはいえない、と思う人たちなのだ。とわたしはいいたいのである」とか、「書かれていない事実。それは、まず書きたくないからである。あるいは、書けないからである。みなさんも、そんなことはないだろうか?」とか、「正直にいおう。書きたいけれど、書けない、のである。さらにいうなら、書けないけれど、書きたい、とも思う」とか、しつこいほどに何度も書いている(もっともこれ自体が一種のミスディレクションだとも考えられるが)。 「書けないこと」は、「高橋源一郎」にとって、今なお増え続けている。あるいは多重化している。しかし「書き得ないこと」であり「書きたくないこと」でもある「書けないこと」を「書くこと」の、ひとつのはじまりは、おそらくは次のようなところにあるだろう(もちろんこれだけではないし、実はこの作品だって「うまくいってない」し、そこが美しいのだが)。 この作品には、ほんとうのところ、むき出しの憎しみや怒りが詰まっている。おそらく、実はぼくの中にも。だから、この作品は、ぼく自身にいちばん似ている。なのに、これ以降、ぼくはずっと、こんな作品を書けないでいる。 『ジョン・レノン対火星人』講談社文芸文庫版「著者から読者へ」 「質問状は受け取りますが、質問には答えません」。「渡部直己」によるインタビューに際して、「高橋源一郎」はあらかじめ用意された質問リストに対して「黙秘権」を行使すると伝えてきたという(『現代文学の読み方・書かれ方』)。しかし彼はインタビューには応じており、質問にも真摯に答えている。このパラドキシカルな態度の、いわば対偶を取ると、「高橋源一郎」の「小説」になる。 #
by ex-po
| 2011-11-20 12:44
すでに単行本に入ってる文章ですが、『トータル・リビング』論の前哨戦(?)のために、ここにアプしておきます。 WISH YOU WERE HERE ー宮沢章夫の小説についてー (『絶対安全文芸批評』より) 「ここではありません」 『サーチエンジン・システムクラッシュ』 もしかしたらご本人がブログがエッセイかインタビューの中とかで語っておられたのかもしれないのだが、雑誌発表時には『秋人の不在』と題されていた、小説家宮沢章夫の今のところ最も長い作品が、単行本になるにあたって『不在』と改題されたことが、ずっと頭に引っかかっていた。もちろん、そのほうがシンプルでいかにもタイトルぽい、という至ってシンプルな理由もあるのかもしれないが、逆に『不在』のみだとちょっとばかり重石が効き過ぎるような感じもなくはないし、いっそ全然違う題名に変えることだって、もしかしたらありえたのではないかとも思うのだ。 だからむしろこう考えるべきなのではないか。宮沢章夫は最初からそのつもりだったのだ。つまり、まず『秋人の不在』としてこの小説をこの世界に送り出し、それから「秋人の」を取ってしまって『不在』のみにする、という二段階のプロセスこそが、はじめから宮沢章夫の意図するものだったのだ、と。 『不在』は、埼玉県北埼玉郡北川辺町に生まれ育ち住まう人々の物語で、のどかな片田舎には凡そ似合わない幾つかの凄惨で異常な事件が起こるのだが、一連の出来事の端緒を開いた(のかもしれぬ)者として、また幾つかの事件の具体的な執行者(であるのかもしれない者)として、牟礼秋人という失踪した青年の存在が語られる。いや実際、むしろそれは「秋人」という人物の「不在」が、あからさまな「不在」として語られる、というのが正確だろう。秋人の「不在」は、この小説の其処此処に姿を見せ、物語全体に浸透している。 北川辺町に「不在」があった。 牟礼秋人という「不在」は、一人の男が姿を消したという以上のものを仲間たちに印象づけ、だからこそ、呼びかけても手応えのない声のように模糊とした不安を暗示させ、なにか忌まわしいことを生み出す兆しなのだと思わせもした。 (『不在』) 言うまでもないことだが、ベケットのゴドー以来(いやもちろんそれ以前から)、宮沢章夫のホームグラウンドである演劇というジャンルにおいて、「不在の人物」というトピックは度々反復されてきた。ここにはいない誰か、だがかつてはここにいたのかもしれない/いつかはここに現れるのかもしれない、そんな「誰か」をめぐる期待や不安やその他あれこれの物語は、既にそれ自体がひとつの定型ともいうべき寓話的エッセンスとして、ほとんどクリシェにも近い縮小最生産と過剰消費を蒙ってもきた。その意味では『不在』もまた、敢てこの定式=クリシェを導入してみせていると言ってよい。周知のように、小説『不在』は、宮沢章夫の作・演出による遊園地再生事業団公演『トーキョー/不在/ハムレット』と(およびそこから派生した宮沢の監修によるオムニバス映画『be found dead』とも、ではあるのだが、それ自体としても興味深いこの「映画」については本稿ではとりあえず扱わないことにする)、いわば互いがもう一方に対しての「オリジナル」であり又「アダプテーション」でもあるかのような鏡像的な関係を有している。そして演劇と小説のあいだで乱反射する鏡像を、ひとつの「不在」が貫いているわけだ。 言うまでもないことだが、とりわけ「演劇」において「不在の人物」というトピック/ギミックがクローズアップされがちなのは、それが舞台上での演戯という形態を基本的に持つがゆえに、観客から見える位置に、すなわち「舞台」に居るか居ないか、ということが、登場人物たちの、大仰な言葉を使えば一種の「存在論」を定立するうえで、いやがおうにも問題になってくるからだろう。そこには居ない/姿は見えないが、声だけの存在として現れる、ということはままある(もっと厳密に言うと映像でのみ現れるというのもあるけれど、これはこの場では差し当たりタメにする厳密さでしかない)。更にそこから後退(?)すれば、「物語=ドラマ」の内部には恐らく/確かに居る(らしい)のだが、けっして「舞台」には現れない、という、すなわち「不在」の位相が引き出されてくる。 言うまでもなく、これはあからさまに、いわゆるところの「リプレゼンテーション」の問題である。語られ/言及されはするが「舞台」には最初から最後まで「不在」という人物は珍しくもない。それは単純に「物語=ドラマ」には必要だが、そこには居る必要がない、むしろ演出上は邪魔、ということだから。シノプシスには役名が出てくるのにキャスト表には俳優の名前がない、ということである。ところが、そこに居ない、ということ自体が、その「物語=ドラマ」の基底もしくは核心を成している、という場合があり、そのとき「舞台」すなわち「演劇の時空間」は、他ならぬ「不在」によって一挙にトポロジカルに構造化されて、いってみれば「リプレゼンテーション」の「外部」を自らの内部に抱え込むことになる。 言うまでもなく、これはあからさまに、いわゆるところの毎度お馴染み「否定神学」的な図式の単純素朴ヴァージョンであり、もちろんゴドーがそもそもそういう読解を延々と被ってきているわけだが、しかしここで述べたいことは、「秋人の不在」が、このようなものには結果としてなっていない、ということなのだ。一言でいうなら、宮沢の「不在」は、それ以上でもそれ以下でもない。それはほんとうに、単なる「不在」でしかないのである。 もちろん『トーキョー/不在/ハムレット』の公演に際しては、ゴドーとハムレットの総合というようなことが喧伝されもしたし、宮沢自身もベケットという名前をたびたび口にしていただろう。しかしおそらく、むしろだからこそ「秋人の不在」は「ゴドーの不在」とは決定的に異なるものだと考えられなくてはならない。実際に『トーキョー/不在/ハムレット』と『不在』を観て/読んでみれば、たちどころに明白になることだが、この「物語」で「秋人」はいわゆる主人公ではないし、最重要人物というわけでもない。彼は確かに北川辺から不意に姿を消し、その事実は幾つかの事件と重要な繋がりを有してもいくのだが、しかし間違っても彼の失踪がすべての出来事の原因であるわけでもなく、その「不在」が『不在』という「物語=ドラマ」のいわば中心の空虚として専制的に振舞っているわけでもない。「不在」が駆動する筈の「リプレゼンテーション」の変換は、ほとんど機能していないのだ。つまるところ「秋人」はただ、そこから居なくなったのであり、なるほどそこには物語られる/仄めかされる/物語られざる理由が幾らもありはするのだが、少なくともそれが『不在』の核ではないのである。 とするならば尚更のこと、何故にこの小説が『秋人の不在』と名付けられたのか、という問いは、逆説的な意味で重要性を帯びてくる。だから/ならばこう考えてみてはどうか。まず「秋人の不在」と、実際に不在となる登場人物の名前とともに提示された題名を、次いで固有名詞を剥ぎ取って唯の「不在」にしてしまうことによって、一体何が浮かび上がるのか?。それはもちろん「秋人の」の「不在」、そして跡に残された名前を持たない「不在」である。すなわち、最初の『秋人の不在』では「秋人の不在」が名指されていたのだが、次のそして現行の『不在』の「不在」は「秋人の」ではないのだ。題名の異なる二つの小説がまったく同じ内容を持っていたとしても、実は『不在』の「不在」は「秋人」以外の別の誰かの「不在」のことなのである。では、その誰かとは誰なのか? その「誰か」について述べる前に、しばし然るべき廻り道を経ねばならない。この雑誌に載っているのとは別のもっと昔の、他にも幾つもあるのかもしれない青山真治との対談のひとつの中で宮沢章夫は、はじめてハワイに旅行した体験によって「中上健次の新宮」を脱=神話化することが出来たという青山のエピソードを聞きつつ、どこか微妙に居心地の悪い雰囲気を醸し出している。むろん対話されたものが文字起こしされ構成され推敲され加筆されてもある筈の対談記事の行間を読もうとするのは些か奇矯なことかもしれないが、それでもここには非常に重要な、看過し得ない差異が隠されていると思える。やや長くなるが以下に引用したい。 宮沢 (前略)やっぱり仮のふるさとを求めるというのが、どこかあるのかもしれない。自分でもしばしば思っていたり、そうした土地を探すんですが、青山さんの中の、中上健次と新宮に対する神話性が、ハワイというきわめて奇妙な土地を見ることで、そのもの自体がもう壊れてしまったということですか。 青山 いや、そういうわけでもないんですけど、おっしゃったように、「仮のふるさと」みたいなものを、一方では求めていたのだな、という、普遍さに安心する、というと変だし、そこで安心しているのはしようがないんだけれども、求めてたんだなと。絶対ここじゃなきゃだめ、と思ってたわけでは全然なかったんだな、という感じで、中上自身の問題としても発見があったんじゃないかと思うんですけど。 (中略) だから、これをなぜ宮沢さんに話をしようかと思ったかというと、やっぱり「文学のトポス」みたいなものがなくなったときに、「池袋」っていうチョイスを宮沢さんがなさって、(略)いかようにもスライドできる。路地を一つ曲がると、どこに何があるのかというのはさっぱりわからないけど、とにかく歩いてみようかといって歩くと、もとのところに戻ったりとかするというような、どうとでもスライドできる場所にいるということは、逆に身体だけが残っていくことになるのか、と。そこに向かっているのだなというか、向かってっていいのだな、という感じで。 ハワイで『鳳仙花』読んでたんですけど、これはあそこでこれはあそこ、というような感じで今まで中上の小説を読んできたのが、そのときすっかりばらけちゃって、どこでもいい、と。 (略) 宮沢 それは恐らく,中上がこうだと言えば、すべてそうなるといったような、中上健次の特権性があって、青山さんにもそれがあって、ハワイが新宮だと言えば、もう新宮なんじゃないかって、いま聞いていて思ったんですが。 青山 というか、もうどこでもいいんだっていうことですよね。どこでもいいんだ、ということに、なんかできちゃったというか。 宮沢 自分の中の解決というんですか、着地点。 青山 ハワイが新宮だというのが結論なんじゃなくて、ハワイは新宮だということから、結局どこでもいいんだ、という結論が導き出されちゃった、というか。 (「僕らはなぜ小説を書くのか?」) 青山真治を論じようとする者にとっても、おそらく決定的に重要な発言のひとつと言うべきだろうこのやりとりにおいて、宮沢章夫の応接の仕方に微細な異和を感じてしまうのは、「どこでもいいんだ」という青山の高らかな断言(?)に対して、宮沢がどこか戸惑っているように見えるからだ。「池袋」とは小説家宮沢章夫の第一作である『サーチエンジン・システムクラッシュ』の舞台となる場所のことだが、彼は「池袋」を「どこでもいい」と思って選んだのだろうか。そうであるのかもしれないし、そうではないのかもしれない。そのこと自体はある意味では宮沢章夫個人だけが知ることだし、事によると彼自身にもわからないことかもしれない。だから「どこでもいい」のかどうかは実は問題ではない。そういうことではなくて、むしろ問題なのは、なるほど確かに「どこでもいい」のかもしれないが、しかし結局のところどこかではあるしかない「どこか」が、とりあえずのことではあれ、そこに決まってしまってから、その結果「そこ」に居ることになる誰か、たとえば「僕」は、「そこ」改め「ここ」の「どこでもよさ」に対して、どのように振舞っていけばいいのか、ということなのだ。 『不在』の末尾近く、牟礼秋人の友達だった何人かが集まって話をする場面で、そこでは「物語=ドラマ」上きわめて重要と言っていいある出来事が起こりもするのだが、仲間のひとりが町を出ていくつもりであることをひとりが口にした後、こんなやりとりがある。 「トーキョーに行くって話だろ」贄田はそんな話は知ってるとばかりに言った。 「菜都美さんもトーキョーでしょ、中地さんもそうだし、鶏介さんも町を出て行っちゃうし、みんないなくなっちゃうんすかね」 「牟礼もな。牟礼秋人もいない。ここにはきっといねぇべ。もう半年くらいずっと不在だった」贄田が話を引き継いだ。少し間をおいて更に言った。「でも、トーキョーったって、そんな遠くねえし、北川辺もよお、いまじゃ通勤圏だべ。電車で行ったら一時間ぐらいだし、車だったそんな面倒じゃねえしな。べつにトーキョーなんか行かなくたっていいんだ」 (『不在』) 「ここ」である「北川辺」も、「ここではない場所」としての「トーキョー」も、あるいはその逆方向の布置も、等しく否定されている。両者の間には途方もない距離も越えられない断絶もない。どちらにだって行けるのだし、どちらに居たとしても、まさに「どこでもいい」のだ。ここで披瀝されているのは、明らかに「文学のトポス」なるものへの痛烈な批判である。ここで宮沢章夫の視線は青山真治の境位とふたたび一致する。「どこでもいいんだ」。だが、先の引用を承けた『不在』の幕切れにおいて、ある登場人物の憤激にも近い述懐によってわれわれが思い知らされるのは、にもかかわらず、「そこ」が「ここ」であるという残酷な事実を引き受けるしかないのだ、ということ、すなわち「どこでもいいが、しかしここでしかない」ということのどうしようもないやりきれなさとかけがえのなさを、いかにしてやり過ごしたらいいのか/受け止めたらいいのか、という切実な、切実な問いかけなのである。 よく知られていることだが、生前の中上健次はしばしば次のようなことを口にしていたという。「俺はここにいない」。また次のようにも。「路地はどこにでもある」。この二つの台詞は今や(そう,今や、だ)一種の反語として解されなくてはならない。中上がそう語ったのは、それでもひとは「ここにいる」しかないのだし、また、それでも中上健次にとっての「路地」は「そこ」でしかなかったからなのだ、と。だからこそ中上は繰り返しそのように言うことで、いわば「運命」を裏返そうとしていたのだ。偶然的だが決定的な事象のことを、われわれは「運命」と呼ぶ(しかない)のだから。 中上健次の「新宮」「路地」は、先行するウィリアム・フォークナーや大江健三郎の「文学のトポス」へのラジカルな「批判」として在った。そして中上の「トポス」を、更にその下の世代である青山真治や『シンセミア』の阿部和重や「東北小説」の古川日出男が(古臭い言葉を故意に使わせてもらえば)デコンストラクトしている。宮沢章夫の『不在』もまた、こうした不連続的な、クリティカルな断層を介した系譜の中に位置している。かなり乱暴に言ってしまえば、中上健次の「トポス」は土と草と血と肉に覆われた具体的な場所であると同時に、一種の位相空間のような抽象的な場所でもある。青山真治は前者から少なからぬ誘引を感じつつも、先の発言にも見られるごとく次第に後者にウェイトを移していった。阿部和重の「トポス」は徹底して後者でしかない。阿部にとっては「神町」もサイバースペースもほとんど変わらない。古川日出男も阿部と軸を同じくしながら、きわめて独自の「トポスの解体と散乱」を押し進めつつある。そして『不在』の宮沢章夫は、青山・阿部・古川のそれぞれの「トポス批判」と随所で共振しながらも、彼らにはない「トポス」への奇妙に屈折したこだわりを露呈する。しかも青山・阿部・古川が、概ね彼ら自身の生地を題材にしているのに対し、『不在』の「北川辺」は(そして『サーチエンジン・システムクラッシュ』の「池袋」も)、宮沢章夫のバイオグラフィーとは直截には重ならない、まさしく「どこでもいい」場所のひとつとして選び取られたかのようなのだ。であるにもかかわらず、だからそこからはいつだって出ていける筈なのに、なぜだか出ていこうとはしない/出ていけはしない人物が、『不在』では描かれている。このことはとてもとても、とても重要だ。 さて、唐突だが、ここで「僕」は『サーチエンジン・システムクラッシュ』の「ペト」のことを思い出す。小説の中盤近くにもなってから、かなり唐突に「それからあの頃、ペトって呼ばれていた女がいたじゃないか」という台詞とともに不意に思い出される女性は、小説のほぼ終わりになって、やはりまるで不意撃ちのようになまなましく追想される。そのほとんど不可解でさえあるほどのなまなましさ、焦燥と悔恨に彩られた記憶の奇妙な艶かしさによって、謎めいた曖昧さと曖昧な謎に満ち満ちた『サーチエンジン・システムクラッシュ』とは、つまるところ「僕」ではなく「宮沢章夫」が彼女のことを思い出すためだけの物語だったのだ、という倒錯的な断言さえ喉元に出かかるのだが、しかし同時にまた不意に、こんな質問が頭をよぎる。だがしかし、ならばペトと呼ばれた女性は、本当に居たのか? 先の青山真治との対談の中で、『サーチエンジン・システムクラッシュ』に出てくる「虚学」なる学問の教授の名前が「畝西」「マダラメ」「イマクルス」と変わっていくことに関して、宮沢章夫は次のように話している。 じゃ、なんで名前が変わっていっちゃうかということに関して、すべてがこの小説におけるあいまいさですかね。あいまいさというか、根拠を失ってしまっていくということを、どうやって表現していったらいいかというところで、そもそも自分の記憶が正しかったのかと言われると、どんどんあいまいになっていく。記憶の細部が正しいかどうかじゃなく、そもそもその事実はほんとうにあったのかというところまで書こうとしたんだと思います。 (「僕らはなぜ小説を書くのか?」) 「ペト」は本当に居たのか?と問うことは、『サーチエンジン・システムクラッシュ』という小説の根幹を抉ることなのだと、確信を持って言うことが出来る。だが、けっして明瞭な答えが得られることはない。ただ言えることは、宮沢章夫の小説には、彼女のような存在が,いや、彼女のような「不在」が、たびたび登場するということだ。「ペト」は『レパード』の「ルシ」であり、あるいは『草の上のキューブ』の「クスモト」でもあるだろう。彼女=彼は「小説」の「物語」の中だけではなく、たとえば「宮沢章夫」という名の個人の記憶の内に、実際に居たのかもしれないし、居なかったのかもしれない。そして、居たか居ないかわからないということは、実は居なかったのと同じことだ。だけれども、それでも「ペト」は、小説の中でなまなましく思い出されることによって、「不在」として存在し始める。だとすれば、矛盾するようだが、彼女は現実にも居たのと同じなのではないか。「どこでもいい」筈の「そこ」が「ここ」になり、その回路に囚われることを「運命」として甘受する(しかない)者がいるように、「ペト」が存在しようとしまいと、思い出された/書かれた彼女の「不在」こそが「僕」たちを捕え続けるのだ。 『不在』に「不在」なのは誰なのか、もはや述べるまでもないだろう。『秋人の不在』が『不在』に縮減されることで明示されたのは、「秋人の不在」と「(ペトの)不在」とは違う,それはもはや別物なのだ、ということだ。そこには「ペト」の切実な「不在」こそが「不在」なのであり、替わりに「秋人」の散漫な「不在」がある。だが言うまでもなく、これは宮沢章夫にとって、どうしても踏まねばならないステップなのだ。彼は「不在」が「不在」でも、物語っていかねばならないのだから。「ここではありません」と「ここ」に記されていても、「僕」が居るのは相変わらず「ここ」でしかないのだし、「あなたがここにいてほしい」という歌は、いつでも/いつのまにか、過去形になってしまっているのだから。 「生きているのか、死んでいるのかわからない」と僕は繰り返し自分の声でつぶやく。そう、自分の声だ。自分の声でつぶやかなければいけないと思った。畝西が教えようとしていたのはそのことかもしれない。ほんとうのことはもうわからない。ただ僕は思った。あれからもうずいぶん年月が経ったが、その曖昧さに、僕は耐えていられただろうか。 (『サーチエンジン・システムクラッシュ』) #
by ex-po
| 2011-11-20 12:44
「ワラッテイイトモ、なのに、ナイタ!」 ある雑誌から「ワラッテイイトモ、」に関するコメントを求められて、しばし考え込んでから僕が書いたのは、こんな一文だった。 別にシャレてみせたわけではなくて、これは思いきり本気だった。僕はK.K.氏本人から送られてきた未修正ビデオを見終わった時、マジでほとんど涙を流さんばかりだったのだ。 すでにこの異色のビデオ作品については、いささか過剰なほどに多くの事が語られている。本誌のような雑誌に見合っているのかどうかは分からないが、僕が以下の文章で書いてみようと思っていることは、「ワラッテイイトモ、」は、「アート」というよりは、むしろやはり「映画」なのであり、もしかしたらそれ以上に一種の「小説」でもあるのではないか、ということだ。そしてそのことは、僕の「ナイタ!」とも深く関わっている。 この作品を驚嘆すべき怪作として評価する巷の言説のポイントは二つある。ひとつは、他ならぬ「笑っていいとも」のエアチェック素材の気の遠くなるような膨大さ。何しろそれは放送第一回から録画されており、いわば「タモリ」というポップ・イコンをめぐる巨大なアーカイヴと化している。そして第二に、それらの膨大な素材を処理する編集のセンス&テクニックの秀抜さと執拗さと異様さ。時間軸を完全に無視して、形態論的あるいは意味論的に荒唐無稽な分裂結合を繰り返す「笑っていいとも」というソース・マテリアルの変容の有様は、僕の専門分野で喩えていうならば、クリック&カッツ以後で、なおかつすこぶるグリッチィな魅力に満ちている。 完成に至るまでに、どれほどの労力と時間が費やされたのかは想像に難くないが、しかし敢て言い切ってしまうなら、そこにこの作品の本質はない。「ワラッテイイトモ、」の核心は、最後に居心地悪そうに付された「、」の方にあるのであって、「ワラッテイイトモ=笑っていいとも」のサブカル/カルスタ/メディア論的捉え直しにも、ひらがなカタカナ変換のテクニカル・テクノロジカルな異化効果にも、実のところありはしないからだ。この「、」は、たとえば「モーニング娘。」の「。」のような、複雑で曖昧な何かを隠しているのだと僕には思える。断言とも疑問とも違う、躊躇と迷いを含んだ何かを。 誰もが知るお昼の長寿テレビ番組は、いわばひたすら正確に反復するループなのであって、そこに登場するアルカイックなコメディアンの姿は、そこに何重にも焼き付けられた残像のようなものでしかない。だからおそらく、この作品を語るにあたって、「笑っていいとも」と「タモリ」にフォーカスしているだけで、もう作者の仕掛けた罠に陥っているのだ。なぜ、K.K.はこんな途方もない芸当をやってのけたのか? なぜ、ここまでしなければならなかったのか? 『マトリックス』のスミス並みに増殖するタモリたちが、必死で覆い隠そうとしているものは、一体何なのか? それこそが問われなければならない。K.K.自身がビデオの中で語っている。「ここに記録された無意味な映像が、私の囮でありアリバイになる。私の映像には、動くモノが映ってさえいればいい」 「笑っていいともメガミックス」として、この作品を見ることから一旦逃れて、とりあえずタモさんのことも忘れて、もっと単純素朴に、ストーリーと登場人物を持った一本の「映画」としてそれを見てみるならば(作中何度もいま自分が作りつつあるのは「映画」なのだとK.K.は語っているし、タモリも「映画ですコレ」としつこく繰り返す)、そこにあるのは言うまでもなく、作者K.K.本人を主人公とする、ひとりの「引きこもり」の青年の「物語」だ。つまり、彼がいかにして西八王子の「部屋」(実際には具体的な部屋というよりも、彼が自閉する「空間」)を出ていこうとするか、という「冒険」の物語……しかし、この「映画=物語」は、最初から破綻している。ほぼ冒頭に位置するナレーションはこう告白する。「自分でも何がやりたいのかわからない」 「何がやりたいのかわからない」と自ら述べる「アート」が、かつてあっただろうか。あったかもしれないが、それはもっぱら戦略的な逆説や詭弁としでであって、ここでの告白を、そうしたギミックと同様に捉えようとすると、取り返しのつかない過ちを犯すことになる。確かに「ワラッテイイトモ、」を、メタ・レヴェルの錯綜をプレイフルかつトラジコミカルに表現した、自己言及性のファンハウスと理解することは可能だ。だが、そうした(お望みならばポストモダン的と呼んでもいい)からくりを、ある意味では無効にするような、やみくもで丸裸の強度を帯びた「何がやりたいのかわからない」感じが、ここには明らかに存在している。しかも「彼」がやりたいことは、実ははっきりしている。「彼」は出ていきたいのだ。 「内面を持たない者だけが、こっちに来れる」「内面を持たない者だけが、向こう側に行ける」……テレビ受像機の中から、強引に継ぎ接ぎされた、こんな意味ありげな台詞が聴こえてくる。ここで問われるべきは、だがしかし「こっち」とはどこか? 「向こう」とはどこか? そして「内面」とは何のことなのか? ということだ。そして、このことを考えてみるために、僕は差し当たり「ワラッテイイトモ、」とはまったく関係のない筈の、舞城王太郎という名前の小説家を召還したいと思う。 舞城王太郎という小説家については、K.K.の「ワラッテイイトモ、」をはるかに超える量の言葉がすでにあちこちで消費されているといっていい。いまや「ポスト(J)文学」の牙城と呼んで差し支えあるまい「講談社ノベルス」からデビューした(だが何故か福田和也のオビ文付きだった)この異能の作家は、ミステリ、純文学、ライト・ノヴェルのありえない三叉路にただひとり屹立する存在として、圧倒的な注目を集め続けている。『新潮』や『群像』や『ファウスト』や『en-taxi』に次々と長中短編を発表し、あっさりと三島賞(『阿修羅ガール』)を獲り、かと思えば清涼院流水の「JDCトリビュート」に途方もなく長くて面倒な『九十九十九』で参加し、最近はイラストや翻訳にまで手を染めながら、本人自身は覆面作家のまま決して表舞台には出てこようとしないことが、更にそのリアルタイム神話化を促進させているように思われる。 舞城に関する言説はかなり読んでみたのだが、「世界が、もし、「舞城王太郎」な村だったら。」他の幾つかの文章で舞城をかなり痛烈に批判している大塚英志の方が、逆説的にではあるがよっぽど「舞城その可能性の中心」を分かっていると思えてしまうのは流石にマズいのではないか。ここでは到底「舞城論」は展開できるわけないので詳しくは他の機会にするけれど、まずはサブカルチャーとゲージュツの差異があることになっててヨカッタネ! エンタとブンガクの区別がまだあるみたいでヨカッタネ! というような旧態依然とした地点からは脱して貰わないと話が先に進まない。 そういえば大塚氏は舞城の「サブカルチャーの言語」の導入ぶりが甘いし浅はかだというようなことを言っているのだが、舞城作品のこれみよがしな固有名詞の使用や見え見えの仕掛けを、たとえば「データベース」からの「サンプリング」(の成功や失敗)として理解しようとすればするほど思いっきり間違えることになるだろう。物事をつい「戦略」という観点から読み解いてしまうのは「八〇年代」の悪いクセだ。 ずっと昔、大江健三郎という人が『万延元年のフットボール』という小説の中で「ほんとうのことを言おうか」と問うてみせた。結局のところ、「文学」とは「誰か」にとっての「ほんとうのこと」をめぐる「虚構(ほんとうじゃないこと)」のことなのだと僕は思う。異論はあるでしょうが、最近ますますそう思う。 舞城王太郎が貴重なのは、たとえば短編「スクールアタック・シンドローム」で、ダメ親父(だが年齢的には若造)が学校襲撃を計画する狂った小説を書いてしまった虐められっ子の中学生の息子に言う台詞として、「なんでお前、この小説、自分が学校を襲うって話じゃなくて、誰かが自分のいる学校を襲ってくるから自分が撃退するって話にしなかったんだろうねえ」なんてことを書けたり、あるいは中編「好き好き大好き超愛してる。」を「愛は祈りだ。僕は祈る。僕の好きな人たちに皆そろって幸せになってほしい。それぞれの願いを叶えてほしい。温かい場所で、あるいは涼しい場所で、とにかく心地よい場所で、それぞれの好きな人たちに囲まれて楽しく暮らしてほしい」なんて言葉で始められるからだ。こんなある意味(というか大概の意味で)唖然とさせられるような、歯の浮くような、マジで? と問い返したくなるような、あまりに直截で素直過ぎで愚直でさえある言葉を、だがしかし未熟さや幼稚さの臆面もない発露とも、あるいは小賢しい「戦略」の類いとも違った、ある困難な迂回の旅路の果てにようやっと辿り着ける、だが言われてみれば誰もが最初から分かっていた筈の「ほんとうのこと」として、ふたたび見い出すこと……。 最初から分かっていたことを最初に言っておしまいにするのと、しなくてもよい回り道をわざわざ経巡ってから最後にわざわざ言うのとでは、やはり違うのだ。「小説」というものは(例外もあるけど普通は)最初の一行から最後の一行まで順番に読まれていくものであり、末尾が明確なオチになっていなくても、読了した時点で、その「小説」のサイクルは一旦閉じて、何らかの感想なり印象を読む者は抱くわけで、何が言いたいのかあまりにはっきりしているのなら本来それだけ書けばいいようにも思えるが、それではなぜか伝わらないことが多いのは不思議だが自明の事実だ。だから色々な道具立てを揃えて、回路を接続し、構造を立ち上げ、言葉を駆使して、言わずもがなのことを何度でも言う努力をしなくてはならない。 「ワラッテイイトモ、」と舞城王太郎に共通するのは、「ほんとうのこと」が潜む、一種パラドキシカルな、ほとんどヴァーチャルでさえある空間、別の言い方でいうなら「内面」(!)を、ひとたび勇気を持って切り離した後で、最後にふたたび引き受けようとする、その循環が孕む錯綜する運動性と混乱する多重性への否応無しのベクトルだ。どこかで長いロープを切ってきて、蝶結びやコマ結びにして、それからほどいてみる、というような。ロープ自体も大事だし、結び方も重要だけれど、肝心なのはやはり、ほどくこと、なのだ。 僕が「ワラッテイイトモ、なのに、ナイタ!」のは、K.K.が、引きこもっていた「部屋=内面」を出ていこうとして、しかしどうしたって出ていけなどしないこと、出ていくことと引きこもること、つまり「こっち」も「向こう」も実はおんなじなのだということに気付くことで、おそらくはやっと出ていくことが出来た、と思えたからだ。 複雑怪奇な話法や屈折した構造や膨大に蕩尽されるギミックを通してしか見えてくることのない切実な素直さがあるのであり、なぜそんなことになってしまったのかといえば、それはやはり僕らが「八〇年代」と「九〇年代」を経過してきてしまったからだと思うのだが、そのことを詳しく述べてみるには、あまりにも字数が足りない。ただひとつだけ言えることは、シンプルに見えるものほど実はややこしいものはなく、逆にややこしく見えるものほど根は単純素朴で、そしてこのややこしさとシンプルさは延々とグルグル廻っているんだろう、ということだ。そしてこれは「アート」(とか)もたぶん同じ。 (『美術手帖』2004年3月〜4月号、全文は『ソフトアンドハード』に収録) #
by ex-po
| 2011-08-03 12:29
加藤典洋『耳をふさいで、歌を聴く』を読んでふと思い出したので、昔「音楽誌が書かないJポップ批評」に書いた奥田民生小論をアップしてみます。こうしてみると、随分捉え方が違う、、 奥田民生のソロ・デビュー・アルバム『29』がリリースされたのは、1995年3月8日のことである。同じ年の10月1日には早くもセカンド・アルバム『30』が出ていて、本人の誕生日(1965年5月12日)を挟んだこの最初期の二枚は、当時の年齢をタイトルに冠した連作と呼べるものとなっている。 今回、この原稿を書くにあたって、あらためてこの二作のアルバムを聴いてみた。まず驚くのは、奥田民生というミュージシャンの、まったく揺るぐことのない一貫性、というか変化のなさ、である。もちろん声はずっと若いし、すでに(ほぼ)三十路とはいえジャケットに映った姿には少年の面影さえ残っているのだが、しかし楽曲的・音楽的には、最近の作品と比較してもまるで遜色がない。ソロ・デビューの時点で、奥田民生という存在は、完璧に完成していたのだ。 これを「だからスゴい!」とみるか、成長のないワンパターンと捉えるかによって、評価は大きく二極化してしまうものと思われるが、幾分まわりくどい言い方をするなら、出発点から現在に至るまで事によるとビートルズしかレフェランスを持っていないのではないかとさえ思えてくるほどの強靭な同一性と、それと裏腹になった隠すべくもない一種の不器用さこそが、奥田民生の最大の、ひょっとしたら唯一の武器なのであり、彼をこんにちの、そしておそらくは今後もはるか永きに渡ってトップ・アーティストの座に君臨させるであろうファクターも、間違いなくこの「変わらなさ=変われなさ」であるのだと、確信を持って断じることが出来る。 もちろん、ソロ・デビュー以前にユニコーンとしての決して短くはない活動歴が横たわっている、という言わずもがなの事実はある。がしかし、ユニコーンがメジャー・デビューした1987年から解散した1993年までに残した作品が証立てる変化にありようと、その総体が孕み持つ音楽的な振れ幅は、他のメンバーもいたからだという当然の認識を考慮したとしても、その後の奥田民生ソロとしての十数年よりもーー誤解を恐れずに言うならーーはるかに豊かなものなのだ。ある意味で奥田民生は、変わることを止めることによってソロ・アーティストになったのだ、とさえ言い得るのかもしれない。 ところで、『29』がリリースされてから十二日後の1995年3月20日に、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起こった。それに続く一連の陰惨な出来事は、「九〇年代」の半ばになっても尚、まだあちらこちらに明らかに残っていた「八〇年代的なるもの」へ痛烈なる死亡宣告をし、と同時に、視界の先にじわじわひたひたと忍び寄って来つつあった「世紀末」を一気に繰り上げてみせた。私見では「1995年」という年はこの国の戦後史に幾つかしか穿たれていない紛れもない結節点のひとつであり(それはオウム事件だけのせいではないが)、この年を境に「以前」と「以後」とに歴史を断絶させるほどのネガティヴなポテンシャルを有した年であった。 奥田民生の『29』と『30』の間には、このような歴史認識の入り込む余地さえ、そもそもまるきり存在していない。録音時期も演奏メンバーも異にしながら、多くの点で姉妹作と考えられるこの二枚のアルバムを隔てているごく短い時間の間に、何か決定的で不可逆的な出来事が起きてしまった、というような感覚は、そこには些かも刻印されてはいない。出発点にして既に完璧に完成されていた奥田民生の世界は微動だにしていない。極端に言えば、それは互いに交換可能であるばかりか、またその後のどのアルバムとだって置換可能なのだ。すなわちつまり、奥田民生にとっては、彼自身が、ではなく、彼を取り巻く、彼の外側の世界が、何一つ変わっていないかのように思えるのである。 もちろん、これは二枚のアルバムの制作過程の詳しいプロセスを踏まえて述べているわけではないし、奥田民生の無自覚ぶりや鈍感さを揶揄しているのでもない。意識的であるか否かはともかくも、このいわば不変性こそが普遍性へと直結しているのであり、それはほとんど畏怖するに足るというか、どこか空恐ろしいような感じさえしてくると、大変久しぶりに聴いた二枚のアルバムは、筆者に思わせたのだった。そして最後に全てをひっくり返すような一言を付け加えておけば、『29』の冒頭の曲「674」には、こんな歌詞が含まれていたのだった。 「ああいっそ/地球も/大予言どうりに」 #
by ex-po
| 2011-08-02 12:37
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