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hon-ninという問題 吉本隆明が『日本語のゆくえ』において、軒並みの「無」として断じる若い現代詩の中で、比較的肯定的に取り上げられている詩人の一人は水無田気流である。その評価の内実にはここでは立ち入らない。ところで、これは非常に珍しいケースと言ってよいかと思うが、同書には同じ人物がもう一度別の名前でも登場する。詩人水無田気流の本名であり、のちに一冊の本に纏められることになる東京工業大学世界文明センターでの吉本氏のビデオ講義「芸術言語論」を、同センターのフェローとして担当していた社会学者田中理恵子のことである。確か以前にここと同じ場処で、とつぜん自分の筆名が吉本氏の口から跳び出してきた時の驚きと戸惑いについて、詩人自身が書いていたと記憶している。 勿論、水無田気流=田中理恵子という等号は詩の世界では最早周知のことであろうし、そもそも一寸ネットを検索すれば容易く分かる公然の事実でもある。『音速平和』が中原中也賞を受賞した際の新聞記事などでは詩人の意外な正体(?)に関する記述もあった。寧ろだからそれゆえに、と云うことになるのだが、私がほんの僅か奇妙な引っかかりを覚えてしまったのは、本名田中理恵子氏が先日上梓した『黒山もこもこ、抜けたら荒野』という新書に、水無田の方の名前が冠されていたという点なのである。「デフレ世代の憂鬱と希望」という副題の付された同書は、田中氏の半自伝的な内容から所謂ロスト・ジェネレーションのアンビヴァレントな時代認識へと貫通してゆく、色々な意味で興味深い好著だが、つまりは「詩人水無田気流でもある社会学者田中理恵子」としての自分語りが為されている本なのだから、本名による刊行ということもありえた筈である。まだ一冊の著書もない「田中理恵子」より「水無田気流」の方が当然知名度は圧倒的に勝り、従って断然購買訴求力も優ることは余りにも明らかなので、それが理由と云ってしまえばそれだけのことかもしれないが、しかしそれでも私は、ここには、ある種の「問題」が潜在していると思う。それはいわば「本人としての詩人」という問題である。 「詩人」としての「水無田気流」の背後に「本人」である「田中理恵子」が居るということは、繰り返すが、まるきり隠されてなどいない、ごく明白な事実である。しかし「田中理恵子」が、詩を書く主体として生後に自ら立ち上げた何者かに「水無田気流」という名を与えたのには、それが何であれ何かの理由もあれば(そしてその理由は何でもよい)、その結果として作動する何事かもあったに違いない。それは敢てみなしたきりうという架空の筆名でしかありえない文字と読みが召喚されているということにも端的に示されている。ところでしかし、そのとき何が起きていたのかといえば、所与としての(母胎としての?)「たなかりえこ」から「みなしたきりう」が分岐分裂したのではなく、実は反対に「水無田気流」によって「田中理恵子」の方が抉り出されたのではなかったか。 「私」である「自己」は、いつでもどこでも、ここ、に有り在り居るしかないのだから、それはだからそこに置いておいて(置いておくしかなく)、たとえば「佐々木敦」は筆名であり本名でもあるのだが、仮に私が「書く私」を命名するとしたら、そのとき誰某が誕生すると同時に、謂わば「佐々木敦’」も生まれているのだ。それは「佐々木敦」とは既に似て非なるもの、というか、もっと強く述べるなら、翻って、ここに置かれてある筈の「佐々木敦」など、もともとどこにもいつにも居無かったのであって、実はそのとき初めて「佐々木敦’」が「本人」としての「佐々木敦」を名乗り、装い始めるのだ。筆名は本名の子ではない。筆名が本名を産むのである。 だからこそ、私は『黒山もこもこ、抜けたら荒野』の、「詩」を書くのではなく「詩を書く私」も含む込む「本人」を書く「私」の名前は、やはり「水無田気流」でなく「田中理恵子」であるべきだったと思う。そして書面のどこかに「水無田気流」と付しておけばよかったのだ。それは「田中理恵子」が「本名」であるからではなく、「詩を書いていない私」も「水無田気流」と名乗ってしまうことによって、「筆名」の命名作用が縮減し、あまつさえ逆流してしまいかねないからである。「水無田気流=田中理恵子」という等号は自明かもしれないが、そのイコールは同一性というより一種の共同性(共犯性)を意味するものでなければならない。たまたま「本人」である「田中理恵子」の全く以て無根拠な拝命を疎外し、仮構された「水無田気流」の有意味かもしれないが無根拠な命名を担保するためにこそ、「田中理恵子」を「筆名」化するべきだったのではないか。そういえば『音速平和』には「名前」という詩があった。 朝のプラットホームに/ぽつん、と一つ/丸い名前が落ちている//これ、君のかい?/と隣人は聞く//私は返事に困り/いいえ、とも/はい、ともつかぬ返事で/微笑する//こんな大事なもの/落としちゃいけない//隣人はそう言って/拾おうとするのだが/ それは くるくる反転するばかりで/決して拾われようとはしない//ひっくり返った名前の裏には/厳かな金色の刺繍文字//コレハ嘘デス//なんだ、嘘か/と隣人たちは/冷ややかな安堵の溜め息を漏らし/さざ波のように/電車に乗りこんでいく//私は再び表に返し/半分消えかけた文字を読む//コレガ嘘デス//私は笑いながら それを/コ ートの内ポケットにしまいこみ/速やかに、逃亡するのだ (全編) 「本人」という問題は、他者に向けて「書くこと」一般に属する。「hon・nin」と題された雑誌があって、そこでは諸々の分野で活躍する「有名人」たちが、当然その名前のままで、それぞれの「本人」としてさまざまな言葉を連ねており、その言葉の虚実の濃度はまちまちであり割合の判別もしようがないが、松尾スズキによるそのコンセプト(?)のあからさまな倒錯性は、ほとんど批評的であるとさえ云ってもいいように思う。或いはたとえば例の巨大「匿名」掲示板で、ネタにされている人物が「降臨」し、数多の「名無し」の列挙の合間に「誰某(本人です)」などと書き込んでいるのを見つけた時の奇妙な気まずさと不気味さ。実際の所「hon・nin」ほどに虚構的なものが又とあるだろうか。 水無田気流にいま望むことは、これからは田中理恵子として(も)詩を書いていくということかもしれない。キキダダマママキキは、本名の「岸田将幸」になって詩集『丘の陰に取り残された馬の群れ』を纏めた。小笠原鳥類の本名は知らない(本名かもしれない)。 わたしは 所有するmeを 手放したことを 覚えていない (「肩膝を無くして歩いている」末尾・岸田将幸『丘の陰に取り残された馬の群れ』所収)
by EX-PO
| 2008-05-18 14:55
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