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読み始めて、もしやイギリスでも脳ブームなのか?!と一瞬引きかけたが、マキューアンは勿論,クオリアとか言い出すわけもなく、むしろ脳研究が神秘主義へと結びついてしまう手前の、唯物論の極みというか一種の無粋さの象徴として、主人公を脳外科医に設定したのだと思う。 ヘンリー・ペロウンは腕っこきの手術医で、美人の元患者の奥さんと、詩人の娘とブルース・ミュージシャンの息子を持つ、幸福な中年男だ。彼が持っていないのは、文学的感性くらい。娘がどれだけ名作を薦めても、さっぱり理解できないし、理解することの意義も今いちよくわからない。それに彼の仕事にそんなものは必要がない。それは脳を切り開いてクオリアが見えるわけでないのと同じこと。 『土曜日』は彼が体験する、他の日とはかなり違った、たった一日の物語である。ヘンリーは目覚めてまず、どうしたって「9.11」を想起させる、炎を噴きながらヒースローに向かっていく飛行機を目撃する。だがそれは大事には至らない。「惨事は回避される」。これがこの物語のひとつのテーマだ。彼の医師としての些か特殊な日常が描かれ、彼を除けば概ね芸術一家と呼ぶべきだろう家族の集合が描かれ、そしてある事件が起こる。実を言うと僕はその時点まで、これはもしかしてギャグ小説なのかも、と思っていた。英国のアッパーミドルの戯画なのかと。その読みは今でも捨て切れないが、しかし物語上のクライマックスに相当する場面において、突然に、マキューアンがこの小説で本当にやろうとしたことが露わになる。その瞬間はかなり驚きだし、鮮やかで,すこぶる感動的である。ヘンリーという人物の"無粋"さが、すべてを逆照写するかのように、見事に効いてくる。さすが恐るべき手練。もう一つのテーマは、いうなれば「文学だけが文学的なのではない」。そして早朝の目覚めに始まった一日は、入眠の訪れで終わる。 この小説は、ちょうど『愛の続き』に対して『アムステルダム』が持っていたようなポジションを、前作に当たる『贖罪』に対して持っているように思える。あの大作のヒロインは小説家で、生涯をかけて一つの愛の物語を書き続けていた。ヘンリー・ペロウンはいわば彼女のネガである。あるいは、それこそ「9.11」以後の、もうひとりの彼女の姿なのだ。色んな意味で,いや、ほとんどあらゆる意味で、「希望」を語ることがアイロニー抜きには不可能になってしまった時代に、イアン・マキューアンは、その微かなありようを、ひたすら模索し続けている。 註:珍しく海外文学について書いたレビュー。いつのまにかすっかりドメスティックな批評家になってしまってる感もありますが、海の向こうのものも勿論沢山読んでます。
by EX-PO
| 2008-05-18 14:47
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