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はじめに 本書は、おそらくちょっと独特なやり方で、われわれが通り越してきた過去と、やがて来るべき未来を肯定することによって、他ならぬ今ここ、すなわち現在を肯定しようとする本です。 と同時に、これはちょっと独特な仕方で、われわれの現在を肯定することによって、今ここ、にはもう/まだない過去と未来とを、それぞれのやり方で、しかし同時に、肯定しようとする本でもあります。 つまりたぶん、この本は、いわゆるところの世界や人生なるものを、他とは少しばかり違った、ちょっと独特な方法によって、肯定するために書かれています。 いささか大仰な言い方かもしれませんが、これから、今ここからはじまる『未知との遭遇』という本に込められたテーマを、あらかじめ簡潔に述べてみるならば、以上のようなことになります。 だからこれは、「生き方」にかんする本だといってもいいし、誤解を畏れずに言ってしまうと、一種の「自己啓発」とさえも呼び得る類いのものなのかもしれません。 とはいえ、誰が啓発されるのか、誰かが啓発され得ることがあるのかどうかも、まだわからないのですが。 僕は自分が、このようなタイプの本を書いてみる気になるとは、以前は思ってもみませんでした。 たとえば十年前だったら、仮に似たような依頼があったとしても、たぶん一笑に付していただろうと思います。僕が書いた「生き方」についての本など、いったい誰が読みたがるのかと。 それは現在も変わらないのかもしれません。でも今、僕は僕なりのやり方で、こんな本を書いてみるということに、いささか強い動機を感じているのです。 それはもしかしたら、ただのひとりよがりでしかないのかもしれない。 この本の中で、僕は世の常識や普通に信じられていることとは、かなり異なった、ちょっとおかしなことを沢山言うことになるかもしれません。 あるいは、そんなの常識以前の当たり前でしょ、とすぐさま切り捨てられてしまいそうなことを持ち出すかもしれない。 あるいはそれは、せいぜいが、こう考えれば少し気持ちが楽になる、という程度のことなのかもしれない。 でも、だったらば尚更のこと、どうしてそうしないのだろうか?、と僕は思うのです。 もしもそうできない理由があるのだとしたら、そうできなくしているものがあるのだとしたら、いったいそれは何なのか? そのことについても、この本の中では追究されていくことになります。 僕自身は、これから語っていくような、幾つかの、おそらくはちょっと独特な考え方を選び取ることによって、大仰な言い方かもしれませんが、自分自身を多少とも救うことができたという感覚さえ、あるのです。 それでは、はじめましょう。 ●目次+小見出し はじめに ■一日目:無限のセカイと有限のワタシ ◎A面 世界(セカイ)の果て? ビギナーの憂鬱/「すべて」という幻想/インターネットは「無限」を捏造する/認知限界/最小合理性/無限のセカイと有限のワタシ ◎B面 おたくからオタクへ 「おたく」か「オタク」か?/中森明夫の「命名」/「OTAKU」を定義する/「おたく」の危機/一九九五年/おたく/オタク論者たち/「おたく」による「オタク」批判/「おたく」から「オタク」へ/なぜオタクは勝利したのか?/新たなゲームボード/祭りの準備/VSサブカル? ■二日目:タイムマシンにお願い ◎A面 偶然について 「出来事」を説明する/『CURE』/偶然の三つの様相/第一次「偶然」ブーム/純粋小説論/第二次偶然性ブーム/モンティ・ホール問題 ◎B面 運命について ヒミズとは何か?/ブーメラン決定論/運命論の四つのパターン/「後の祭り」/逆向き因果/形而上学的運命論/占いの効用/タイムマシンにお願い/「波形編集ソフト」の時間論/後悔という問題 ■三日目:UNKNOWNMIX! ◎A面 不可能世界(セカイ)論 多様性を擁護する/無限後退問題/君の考えたことはとっくに誰かが考えた問題/リテラシー?/選択肢の過剰/セカイ系/『ファイナルファンタジックスーパーノーフラット』/本谷からジジェクへ/「現実への情熱」/シャカイ系/デメキングとは誰か?/マルチエンディングの地獄/トゥルーエンド/メタフィクション批判/「現実肯定」のプログラム ◎B面 未知との遭遇 「起きたことはすべていいこと」/最強の運命論/多重人格者であること/誰もがマルチプルである/「未知なるもの」の到来/「諸虚構の時代」/「世界」の「ヴァージョン」/UNKNOWNMIX/テン年代のキーフレーズ/吃驚すること/インプロヴィゼーション/拡散と収縮/おわりに あとがき ●参考文献一覧 青山拓央 『新版 タイムトラベルの哲学』ちくま文庫、二〇一一年 東浩紀 『存在論的、郵便的——ジャック・デリダについて』新潮社、一九九八年 ———— 『動物化するポストモダン——オタクから見た日本社会』講談社現代新書、二〇〇一年 ———— 『情報環境論集 東浩紀コレクションS』講談社、二〇〇七年 ———— 『ゲーム的リアリズムの誕生——動物化するポストモダン2』講談社現代新書、二〇〇七年 ———— 『文学環境論集 東浩紀コレクションL』講談社、二〇〇七年 ———— 『批評の精神分析 東浩紀コレクションD』講談社、二〇〇七年 ———— 『クォンタム・ファミリーズ』新潮社、二〇〇九年 ———— 『郵便的不安たちβ 東浩紀アーカイブス1』河出文庫、二〇一一年 東浩紀編 『美少女ゲームの臨界点 波状言論 臨時増刊号』波状言論、二〇〇四年 東浩紀編 『日本的想像力の未来』NHKブックス、二〇一〇年 東浩紀+大澤真幸『自由を考える——9・11以降の現代思想』NHKブックス、二〇〇三年 東浩紀+大塚英志『リアルのゆくえ——おたく/オタクはどう生きるか』講談社現代新書、二〇〇八年 東浩紀+笠井潔『動物化する世界の中で——全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』集英社新書、二〇〇三年 東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』新潮社、二〇〇八年 東浩紀+濱野智史編『ised 情報社会の倫理と設計倫理篇』河出書房新社、二〇一〇年 一ノ瀬正樹 『原因と結果の迷宮』勁草書房、二〇〇一年 ———— 『原因と理由の迷宮——「なぜならば」の哲学』勁草書房、二〇〇六年 ———— 『確率と曖昧性の哲学』岩波書店、二〇一一年 いましろたかし『デメキング』ベストセラーズ、一九九九年 ———— 『デメキング 完結版』太田出版、二〇〇七年 入不二基義 『時間は実在するか』講談社現代新書、二〇〇二年 ———— 『時間と絶対と相対と——運命論から何を読み取るべきか』勁草書房、二〇〇七年 ———— 『哲学の誤読——入試現代文で哲学する!』ちくま新書、二〇〇七年 ———— 『相対主義の極北』ちくま学芸文庫、二〇〇九年 ———— 『足の裏に影はあるか?ないか? 哲学随想』朝日出版社、二〇〇九年 植島啓司 『偶然のチカラ』集英社新書、二〇〇七年 歌野晶午 『世界の終わり、あるいは始まり』角川書店、二〇〇二年 宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』早川書房、二〇〇八年 ———— 『リトル・ピープルの時代』幻冬舎、二〇一一年 大澤光 『社会システム工学の考え方』オーム社、二〇〇七年 大澤真幸 『虚構の時代の果て——オウムと世界最終戦争』ちくま新書、一九九六年 ———— 『戦後の思想空間』ちくま新書、一九九八年 ———— 『現実の向こう』春秋社、二〇〇五年 ———— 『不可能性の時代』岩波新書、二〇〇八年 ———— 『量子の社会哲学——革命は過去を救うと猫が言う』講談社、二〇一〇年 ———— 『生きるための自由論』河出ブックス、二〇一〇年 ———— 『社会は絶えず夢を見ている』朝日出版社、二〇一一年 大澤真幸編 『アキハバラ発——〈00年代〉への問い』岩波書店、二〇〇八年 大塚英志 『「おたく」の精神史——一九八〇年代論』講談社現代新書、二〇〇四年 ———— 『物語消滅論——キャラクター化する「私」、イデオロギー化する「物語」』角川oneテーマ21、二〇〇四年 大塚英志+大澤信亮『「ジャパニメーション」はなぜ敗れるか』角川oneテーマ21、二〇〇五年 大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社現代新書、二〇〇一年 大塚英志+中森明夫編『Mの世代——ぼくらとミヤザキ君』太田出版、一九八九年 大森荘蔵 『流れとよどみ』産業図書、一九八一年 ———— 『時間と自我』青土社、一九九二年 ———— 『時間と存在』青土社、一九九四年 ———— 『知の構築とその呪縛』ちくま学芸文庫、一九九四年 ———— 『哲学の饗宴——大森荘蔵座談集』理想社、一九九四年 ———— 『時は流れず』青土社、一九九六年 岡田斗司夫 『オタク学入門』太田出版、一九九六年 ———— 『オタクはすでに死んでいる』新潮新書、二〇〇八年 小沼丹 『黒と白の猫』未知谷、二〇〇五年 加地大介 『なぜ私たちは過去へ行けないのか——ほんとうの哲学入門』哲学書房、二〇〇三年 加野瀬未友×ばるぼら「オタク×サブカル15年戦争」『ユリイカ』二〇〇五年八月増刊号 木原善彦 『UFOとポストモダン』平凡社新書、二〇〇六年 九鬼周造 『九鬼周造随筆集』岩波文庫、一九九一年 ———— 『偶然性の問題・文芸論』(京都哲学選書)、燈影舎、二〇〇〇年 黒沢清 『黒沢清の映画術』新潮社、二〇〇六年 佐々木敦 『ゴダール・レッスン——あるいは最後から2番目の映画』フィルムアート社、一九九四年 ———— 『ソフトアンドハード』太田出版、二〇〇五年 ———— 『「批評」とは何か?——批評家養成ギブス』メディア総合研究所、二〇〇八年 ———— 『ニッポンの思想』講談社現代新書、二〇〇九年 ———— 『文学拡張マニュアル——ゼロ年代を超えるためのブックガイド』青土社、二〇〇九年 ———— 『即興の解体/懐胎——演奏と演劇のアポリア』青土社、二〇一一年 末木文美士 『他者/死者/私——哲学と宗教のレッスン』岩波書店、二〇〇七年 竹内啓 『偶然とは何か——その積極的意味』岩波新書、二〇一〇年 谷川流 『涼宮ハルヒの暴走』角川スニーカー文庫、二〇〇四年 永井均+入不二基義+上野修+青山拓央『〈私の哲学〉を哲学する』講談社、二〇一一年 中河与一/横光利一『中河与一/横光利一』新学社近代浪漫派文庫、二〇〇六年 中島義道 『後悔と自責の哲学』河出書房新社、二〇〇六年 中野独人 『電車男』新潮社、二〇〇四年 中原昌也+高橋ヨシキ+海猫沢めろん+更科修一郎『嫌オタク流』太田出版、二〇〇六年 花沢健吾 『ルサンチマン』全四巻、小学館ビッグコミックス、二〇〇四—〇五年 古谷実 『僕といっしょ』全四巻、講談社ヤンマガKC、一九九八年 ———— 『グリーンヒル』全四巻、講談社ヤングマガジンコミックス、二〇〇〇年 ———— 『ヒミズ』全四巻、講談社ヤンマガKC、二〇〇一—〇二年 ———— 『シガテラ』全六巻、講談社ヤンマガKC、二〇〇三—〇五年 ———— 『わにとかげぎす』全四巻、講談社ヤングマガジンコミックス、二〇〇六—〇七年 ———— 『ヒメアノ〜ル』全六巻、講談社ヤングマガジンコミックス、二〇〇八—一〇年 本田透 『電波男』三才ブックス、二〇〇五年 舞城王太郎 『ディスコ探偵水曜日』上下、新潮社、二〇〇八年 森見登美彦 『四畳半神話大系』太田出版、二〇〇五年 横光利一 「純粋小説論」『愛の挨拶・馬車・純粋小説論』講談社文芸文庫、一九九三年 グレッグ・イーガン『宇宙消失』山岸真訳、創元SF文庫、一九九九年 ネルソン・グッドマン『世界制作の方法』菅野盾樹訳、ちくま学芸文庫、二〇〇八年 ハーバート・A・サイモン『システムの科学第三版』稲葉元吉・吉原英樹訳、パーソナルメディア、一九九九年 スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』鈴木晶訳、河出書房新社、二〇〇〇年 ———— 『「テロル」と戦争——〈現実界〉の砂漠へようこそ』長原豊訳、青土社、二〇〇三年 ———— 『ラカンはこう読め!』鈴木晶訳、紀伊國屋書店、二〇〇八年 バリー・シュワルツ『なぜ選ぶたびに後悔するのか——「選択の自由」の落とし穴』瑞穂のりこ訳、ランダムハウス講談社、二〇〇四年 マイケル・ダメット『真理という謎』藤田晋吾訳、勁草書房、一九八六年 クリストファー・チャーニアク『最小合理性』柴田正良監訳/中村直行+村中達矢+岡庭宏之訳、勁草書房、二〇〇九年 ダニエル・デネット『心はどこにあるのか』土屋俊訳、草思社、一九九七年 ———— 『解明される意識』山口泰司訳、青土社、一九九八年 ———— 『自由は進化する』山形浩生訳、NTT出版、二〇〇五年 ———— 『スウィート・ドリームズ』土屋俊+土屋希和子訳、NTT出版、二〇〇九年 イアン・ハッキング『記憶を書きかえる——多重人格と心のメカニズム』北沢格訳、早川書房、一九九八年 ———— 『偶然を飼いならす——統計学と第二次科学革命』石原英樹+重田園江訳、木鐸社、一九九九年 アラン・バディウ『世紀』長原豊+馬場智一+松本潤一郎訳、藤原書店、二〇〇八年 スコット・ペイジ『「多様な意見」はなぜ正しいのか——衆愚が集合知に変わるとき』小谷淳訳、日経BP社、二〇〇九年 デイヴィッド・ルイス『反事実的条件法』吉満昭宏訳、勁草書房、二〇〇七年
by ex-po
| 2011-12-07 13:31
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