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29日のホンマタカシさんとの対談の参考に、2007年9月に僕が批評同人誌「ベクトルズ」のために行なったホンマさんのインタビュー記事を以下に全文アップします。 《写真機械》としての「人間」 2007,9,20 16:30~18:00 ホンマタカシ←佐々木敦 ■NEW WAVES 佐々木 ホンマさんの最近の作品を拝見して、また幾つかのインタビューで話されていることを読んで、すごく興味が沸きました。僕は写真については門外漢で、写真論も自分に興味があるようなものしか目にしてないです。素人ならではの質問で、そういうものはもうとっくに乗り越えられているよ、というようなものもあるかもしれないので、そういう場合にはビシッと指摘していただいて(笑)。 ホンマ いやいや(笑)。 佐々木 『NEW WAVES』(*)は、ハワイの海を撮っていて、波が来るのをひたすら捉えていらっしゃるんですが、こういうところにホンマさんが立ち至ったのは、キーワードとして「決定的瞬間」というのがひとつあると思うんです。写真とは決定的瞬間を捉えるものだという考え方が一方でずっとあって、それに対しての距離感がホンマさんの中で次第に育ってきたのかなと思うんですけど。 ----------------------------- (*)『NEW WAVES』…『ホンマタカシ写真集 NEW WAVES』。ハワイ・ノースショアの波を撮影した作品約100点を収録。パルコ出版より2007年7月刊行。 ----------------------------- ホンマ 今『アサヒカメラ』で毎月写真時評みたいな連載を10回くらいやってて、「今日(こんにち)の写真」というテーマで。写真家が今日写真を撮るということを考えていくと、多分音楽や文学もそうだと思うけど、あらかじめ録られているし作られているわけじゃないですか。それが大前提にあって、じゃあ今どうするっていう、写真だけじゃなくて音楽や映画も同じ状況に立っていると思うんですね。簡単にいうと、モダンもとっくに終わって、ポスト・モダンも終焉に来ているところぐらいでどういう風にやっていくかってところにきているんですよ。写真はそれでも無邪気にモダンの終焉を迎えずに、ただ決定的に出会い頭に瞬間を捕らえればいいんだってところで成り立ってきた珍しいメディアなんじゃないかなって思ってるんですよ。だから単的に言うと、それはアカデミズムにもなってないというか、写真教育が成されてないというか、撮る方も見る方も成されていなくて、それはなぜかというと、ただ撮ればいいということがあるから教えられないというまま今まで来ている。そのまま無邪気にやっていっていいのかっていうのは、僕だけじゃなくて僕の世代には共通の意識があるんじゃないかと思うんです。僕が波を撮ったというのも、波なんて散々撮られているわけじゃないですか、富士山を撮るようなもので。それをなぜあえて撮るのかという問題だと思う。今東京都写真美術館で鈴木理策さんが『熊野、雪、桜』(*)という写真展をしているんですけど、特に桜なんて本当に死ぬほど撮られているのになんで今撮るのかという問題に、僕だけじゃなくて、みんな来ていると思うんですよね。結局、写真家は被写体を撮らないといけないから、すでに撮られている大文字の被写体をもう一度再解釈して撮るか、それか冒険して誰も見たことがないものを撮るのか、その2つしかない。あとは日常をダラダラダラダラ撮るというのはあるんですけど。そういう中で僕はやっぱり出会い頭も撮ってないし、冒険も至るところまで『ディスカバリーチャンネル』がやってるわけだから、やっぱり原理的にないなあと思っていて、その中でやるならすでに撮られているものをどう再解釈するかしかないのかなという。撮られているものをどう撮るかというところまでやるしかないと思っているんですよ。 ----------------------------- (*)『熊野、雪、桜』…東京都写真美術館にて、9月1日(土)〜10月21日(日)まで開催。展覧会カタログを兼ねた写真集も淡交社から刊行されている。 ----------------------------- 佐々木 表現行為や創造行為といわれること全部に関わってくる話だと思うんですけど、何かひとつのジャンルの表現方法があったときに、それが成しうることの大方の可能性がすでに試みられてしまっているとされると、あとはそれを繰り返すか、やったことの注釈しか生きながら得ていきにくいときに、あえてアルカイックな地点に戻ることを選択したんだと思うんですね。それはある意味、いま写真をやること自体が相当に困難なことになっているということですよね。 ホンマ そう。かなり困難だと思いますね。そういう意味で佐々木さんは専門家ですけど、音楽では早かったですよね。だって作曲ってことはないわけじゃないですか。みんな作曲しているけど、クラシック音楽みたいな曲を作るってことはないわけですよね。当然とっくの昔にサンプリングやDJで、細かい差異で見せていくしかないわけですよね。それが音楽は早かったけど、写真はいまだに見たことのないものを自分だけが撮れるという幻想が生きているんですよね。僕はそこに疑問があって。それと写真独特の大きい——困難さは同じなんですけど、写真だけが信じられる幻想って大きくあるんですよ。すごいきつい体験をしないと写真は撮れないとか、身近なものを撮る場合でも、男でも女でも深い関係性を経なければ写真は撮れないんだという、小説でいえば私小説みたいなものですね。その流れが本当にぎりぎりまだあるんですよね。それに対する反発を僕は学生時代からあったんですよ。今の状況になって、やっと原点に戻れて、もしかしたらいちばんやりたいことをやれるようになったのかも知れないですね。もっと前から違和感を感じていたけど、自分の写真家としての力もなかったし、状況もそうじゃなかったけど、今やっと、困難なんだけどいいコーナーまで来たなと思っていて(笑)。 佐々木 やるべきことをやれる状態になったという。 ホンマ そうそう。みんなが困難になればなるほど、自分がやりたいことがやりがいがあるなという状況になったと思います。
by ex-po
| 2011-12-28 12:25
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